LIFESTYLE / CULTURE & LIFE

「お金は生死のルールを超越していると見せかける」──作家・川上未映子の死生観と「お金」への思い

最新作『黄色い家』は「黄色」と「お金」を巡る物語だ。世界的にも今、最も注目を浴びる作家の一人である川上未映子が、 資本主義と分かち難いという死生観や、 今作で拓けた作家としての新境地を語る。

紹介した商品を購入すると、売上の一部が Vogue Japan に還元されることがあります。

「事件の裏には、記事には現れてこない事情がある。その個別性を考えたり、想像するのが文学」

ベルベットサイドドレープドレス  参考商品/GUCCI (グッチ ジャパン)

2着の黄色いドレスを纏い、カメラの前に立つ川上未映子。ドレスの色は2021年から『読売新聞』に連載され、2月に刊行された小説『黄色い家』にちなんでいる。作中、主人公の「花」は「西側に黄色いものを置くと金運が上がる」という風水の説を知って黄色の「力」を信じ、頼り始める。そして、徐々に「黄色」が波乱の物語を生んでいく。 

「タイトルの『黄色い家』と“お金と家”というテーマが連載を始める少し前に決まり、あとは新聞連載だからニュース記事で始めようと。それからは、書きながらわかっていくという感じでした」

  スマホの画面に現れた小さなニュース記事に、花がかつて一緒に暮らしていた女性「黄美子」の名前を見つけるところから物語は始まる。それがきっかけで、思い出すこともなかった「黄色い家」の記憶の封印が解かれ、年齢も違い、血のつながりもない女性たち四人が助け合って暮らした日々が蘇ってくる。 

「女の人たち四人が一軒の家に住んで、そこで起きた事件を主人公はなかったことにしてしまう。ところが、新聞記事を読んだことで、自分が蓋をした過去から追いかけられるように、舞台は90年代に遡ります。  

新聞記事からは、事件の起こった時と場所とか、だいたいの概要しかわからないですよね。それが記事の役割だから。でも、事件の裏には、そこには現れてこない事情があります。その個別性について考えたり、想像したりするのが、文学や映画の仕事のひとつだと思っているんです。  

読者の方に花の回想につきあっていただくことによって、小説を読み始めたときと、読み終えたときとで、最初の新聞記事の印象が変わるような話になるといいなと思っていました」 

黄色い家で暮らす四人の シスターフッドを描く

黄色い家』(川上未映子著/中央公論新社) 昨秋クノップフ社が版権を獲得、 2025年の英訳が待たれる。

2020年以降、各国で作品が翻訳・出版され、海外でもファンが増えつつある川上は、昨年『ニューヨークタイムズ』のインタビューを受けた。新聞連載中だった『黄色い家』に話が及んだとき、これは自分なりの『細雪』だと答えている。ここで谷崎潤一郎が描いた昭和初期、大阪・船場の裕福な家庭に生まれた蒔岡四姉妹の物語が引き合いに出されたのは興味深い。

 「これには、ぜんぜん深い意味はなかったんですよ。アメリカで最も知られた日本の四姉妹といえば『細雪』のマキオカシスターズだけど、これからはこの『シスターズ・イン・イエロー』(『黄色い家』の英語タイトル)がそうなるかもね!  ぐらいの軽い冗談で(笑)。でも、そこには戦時中に『細雪』というカウンター文学を書いた谷崎のように、自分もカウンターでありたいという無意識の思いが表れているのかもしれませんね。  

今回の作品ではシスターフッドについて検証するというか、さまざまな可能性についても描きたかったのですが、女性が少なくとも四人はいないと連帯のなかの細かい部分が描きにくいんです。支配/被支配の関係とか、女性ばかりの暮らしのなかに『家父長』が生まれていく過程なども含めて……。  

ただ、書き始めたときにそこまで見通しが立っていたわけではなくて、女性四人が一軒の家に住むという設定と、連載期間が1年だとすると原稿用紙1000枚前後かなということくらい。あとは最初に13章にすることとそれぞれの章タイトルだけを決めていて。タイトルはお金と家に関する熟語をピックアップしました。喩えれば、坪数と、建ぺい率と、ざっくりした間取りくらいでしょうか、『家』だけにね(笑)。でも、そこで何が起こるかはわたし自身にもよくわからないままスタートしました」 

「黄色」に強くこだわり、夢占いの読み解きに希望を見いだす花。ホステスをするシングルマザーのもとで心理的にも経済的にも不安定な幼少期を送り、母からの自立を目指して高校時代から働き始める。「お金と家」がテーマというだけあって、花以外の登場人物たちもお金を追い求め、お金に翻弄され追い詰められていく。ここで浮かび上がるのは「なぜ人はこれほどまでに金を欲し、金に縛られ、狂わされるのか」という普遍的な問いだ。 

「お金の問題は、ドストエフスキーをはじめ、長く文学が扱ってきたテーマです。不思議ですよね、お金って。お腹を満たす食べ物や、雨風をしのいだりする現実的な物だけが、実際の価値をもつ時代だって、少し前まであったのに。本当ならそもそもお金は暮らすに困らない程度にあればそれでいいのに、そしてそれを遣うわけでもないのに、もっともっと必要だと思ってしまう。貯めるためにお金が必要というか。もちろん多くの人はその日を暮らすのにもかつかつなのですが。 

けれど、日本の貯蓄額は過去最高にもなり……そうした蓄財の欲求と、人間には自分の明日がわからないことは関係しているように思えるんです。人間以外の生物は自分が死ぬというリミットを知らずに生きている。人間は自分の命が有限だと知っているけれど、普段はそれを忘れていないと生きられないんですよ。いつか死ぬということを、一瞬意識するだけでもこわいですからね。この、本当に大きいルールを直視できないようになっているんだと思う。  

だから、これだけのお金があったらあと1年働かなくても生きられるとか、2年分の家賃が払えるとか……明日のことなんかわからないこの肉体にとって、お金は、時間の保証や見通しをくれるように感じてしまうんじゃないかな。それが、ある種の寄る辺というか、基準になるのではないでしょうか。作中でも花はさまざまな経験を通して、『金はいろんな猶予をくれる。考えるための猶予、病気になる猶予、なにかを待つための猶予』という考えに至っています。  

もし明日死ぬのなら、自分のことに限っては、お金は要らないですよね。でも明日のことがわからない、死ぬことを直視できないというわたしたちのあり方と、ほとんど抜け出すことが不可能に思える資本主義との相性が、ものすごく合ってしまっているんだと思う。  

物々交換で生きていくために、たとえば畑を耕して野菜を作っている。でも病気になって畑に出られなかったら野菜は作れなくなります。そういう意味で、畑は人間の側、“生き死に”のある側なんだけど、お金は人間より長生きする。生きる死ぬというルールを超越している、少なくともそう信じ込ませることに資本主義は成功しているから、永遠には生きられない人間が、その幻想を借りて永遠に近い夢を見るんじゃないかなって、気がします」  

そこで川上自身がお金についてどう感じているかも訊いてみた。 

「わたしはストリート出身だし、早くから手に職つけて自分で稼がなければならなかったという意味では若い頃から経済活動に関わっていて、お金の苦労もありました。水商売も長かったですし。ただ、お金で苦労したからこそ、『金なんかに大事なことは決めさせないぞ』という気持ちもありましたし、今もあります。でも、同時に、お金は大事な人を守る手段にもなり、時間そのものにもなりえるんですよね。つらいところです。わたし個人の話でいえば、自分に遣うお金には、もう興味がなくなってきたところがありますね。お金を遣う動機が、自分の満足よりも、家族や誰かのそれだったり。それはわりと昔からそうですけど、この傾向は最近さらに強まってきました」 

書くことはジャッジではなく問いかけること  

プリーツドレス ¥1,320,000/VALENTINO (ヴァレンティノ インフォメーションデスク)

川上の小説では、いつも魅力的な登場人物が生き生きと描かれている。今回の作品で軸となる人間関係は主人公の花と、彼女が最も近しく感じていたであろう黄美子の関係だ。スナックのホステスとして働く母親の友人だった彼女は、中学生の花にとって未知の世界に通じる扉のような存在となる。出会った当初は何でも話せる気さくな姉のような存在だったが、ともにスナックで働きながら共同生活を続けるうちに二人の関係性が変わっていく。 

「15歳の目から大人を見ると、相手の全体像は見えないことって多いですよね。たとえば17歳の女の子が30歳の男性のことを好きになり、つきあっていたとして、その渦中にいるときは恋愛と思っていたけれど、あとから振り返るとフェアな交際だったと言えるのかどうか。子ども時代の周りとのパワーバランスをここ数年で再検証してみると、『あのときのわたしはどうだったのか』ということがいくつも出てきます。 

#MeTooという大きな動きもありました。そこでは『被害を受けたこと』の告発が中心でしたし、それは本当に大切な運動でしたが、同時に、『やったことを忘れている』という側面にも物語が進めばいいな、主人公がないことにした過去に追いかけられる話になれば、と考えていました」 

より大きなお金が必要になってダークな世界に足を踏み入れた花に、そこでの「掟」を教えてくれる先輩も登場する。その一人が黄美子の古い友人である在日コリアンの男性、映水(ヨンス)。彼は夜の世界の「悪い人間」から「金のなる木に思われねえようにしろよ、目えつけられねえようにな」と忠告する。何しろ、黄美子と二人でスナックを切り盛りするようになった花はまだ18歳なのだ。 

「いちばん守られなければならないのは子どもだけれども、大人になってもある種の弱さ、他人からみれば都合の良さだけを持った人たちが、夜の世界にはたくさんいます。誰もが注意深く、主体性をもって日常を生き、判断し、物事にあたれるわけではないんですよね。そこにつけ込まれて、リアクションだけで生きていくようになる人たちの声は届きません。夜の世界はもともと昼間の明るい世界からは、その詳細がみえないようになっています。だから、声なんか最初から最後まで、なかったことになってしまうんです。  

小説のなかにも書きましたが、お祭りの夜店や屋台などで商いをしているテキヤの周りには、親や大人たちにくっついて、年中、いろんな場所を移動している子どもたちがいるんです。その子たちに『学校は?』って訊いても『うーん』とはぐらかされる。義務教育を受けていないのか、保護の観点からみて大丈夫なのか、さまざまな懸念と不安を感じもしますし、社会が引き受けなければならないこともたくさんあります。けれど、どこのコミュニティにも横溢する生命エネルギーがあって、それが幸か不幸かというジャッジは誰にも下せないだろうという気持ちもあるんです。  

書くこと、読むことってつねに『あなたはそれをどこから書いているんですか』『あなたはどこからそれを読んでいるんですか』と問われること。できるのはジャッジではなく、問うことだけなんだと思います」 

たくさんの人たちのヴォイスで 「書かせてもらって」できた小説  

作家には、ある程度きっちり構想を練ってから取りかかるタイプと、ラフな見取り図だけで執筆に臨むタイプがあると聞く。川上は前者を自認してきた記憶があるが、今回はいつもと違うような印象を受ける。 

「たしかにこれまでとは書き方が違っていました。というのも、『黄色い家』はわたしがいろいろな経験をして、いろいろな人が話を聞かせてくれて、見せてもらったもの、勝手に見たものを書いたものなんだなという感覚があります。  

よく作家は自分自身のヴォイス、その作家固有の何かを書くと言いますが、今回は作家のヴォイスというよりも、目の前で生きていた人たちのヴォイスで書かせてもらった感じがします。あまり構成も決めずに、ただパソコンの前に座ってとにかく出てくるものを書く。思い出すのと、目の前で起こることを目撃するのが同時にあって、とにかくそれを見逃さないように書いていた。そのためのコンパスとして章があり、そのタイトルが灯台のようにあったという感じでした」  

さまざまなヴォイスが、今作の登場人物たちをくっきりリアルに際立たせているのだろう。それでも以前のように、書くことをもっとコントロールしようとはしなかったのだろうか。 

「わたしは、自分が感傷的でだらしのない人間だということがわかっているので、はみ出る部分はものすごくはみ出ちゃうから、そんな自分を律して書こうと思って、これまでやってきました。『夏物語』の頃までは、もちろん実際にはやったことはないけれど(笑)、なんというか、フィギュアスケートのイメージとでもいうのでしょうか、技術点、芸術点すべてで満点を取りに行くように、文体も比喩も全部決めていこうと強く意識していました。もう瞳孔開きっぱなしで……。  

でも、そんなふうにして書いていても必ず漏れ出るものはあるんですよね。だから、自分はそれくらい抑制して書くのでちょうどいいんじゃないかなと思っていました。けれど今回は、そういうことさえ考えなかったかも」  

新聞連載中も読者から日々リアクションが寄せられ続けたと聞くが、今回単行本となったものを読めば、毎日少しずつ連載されたとは思えないほど一息に読み切らせる物語だ。最後まで本を置かせないスピード感は、パソコンの前で「目撃」したことをただひたすらに書き留める作家自身の身体感覚が文章を通して伝わってくるからかもしれない。 

ナタリー・ポートマンや シンディ・ローパーも魅了する川上文学 

『夏物語』の英語版出版を皮切りに『ヘヴン』『すべて真夜中の恋人たち』が立て続けに英訳され、ブッカー賞や全米批評家協会賞(小説部門)に最終ノミネートされた。いま彼女は日本の作家として世界の注目を集めていると言っていい。外国語に翻訳されるときは作家として何か要望を伝えるのだろうか。 

「うーん、これが難しいんですよね。外国語に翻訳したものは読めないし、意味もわからないことがほとんどですから。英語なら何人かでチェックもできるし、自分のわかる範囲でここはこういうニュアンスじゃないかなと提案することもできる。でもスウェーデン語やアルメニア語となると、それも難しいですよね。そういうときは、ご紹介いただいた翻訳者の方が過去に訳された作品や、好きな作家と作品、どういうところがお好きかといったことを質問して、やりとりするんです。それは、書き手と作品と翻訳者にとって、必要なプロセスだと思います。  

ただ、そのように翻訳のオファーをいただく機会が増えても、訳されることはまったく意識しないで書いていますよ。『夏物語』もかなりローカルな話でしたが、海外でよく読まれているのは翻訳者の力であり、ありがたいことです。わたしの文章は、翻訳するのが難しいとよく言われます。大阪弁を使うこともあるし、日本語を目で読むときのリズムの問題もありますよね。さらに今回の『黄色い家』には90年代カルチャーの固有名がたくさん出てくるし、当時の時代背景や文脈が共有されてこそ、笑えたり、切なくなったりする場面もたくさんあるし。どうするんだろうなあ(笑)」

『夏物語』英語版の反響は大きかった。この作品で川上の大ファンになったというナタリー・ポートマンインスタグラムで本を取り上げ、自身の読書会のテクストとして取り上げ、さらに対談も実現した。またシンディ・ローパーとの交流のエピソードは、川上自身がツイッターで語っている。 

「そうそう、あなたにもできるよっていいたいんです」

「海外で翻訳されるようになってうれしかったことのひとつは、自分が影響を受けたり本当に好きだったアーティストがわたしの作品を読んでメッセージをくれたことです。シンディ・ローパーは10代の頃から大好きで、何度も彼女の歌に励まされて立ち直ってきた大切な存在です。それで、2020年に『夏物語』の英訳が出たとき、かすかなつてを頼って探り当てた住所宛にダメ元で本と短い手紙を送ったんです。コロナ禍でエージェントもレコード会社も物流もほぼストップしていたのですが、1年後、アメリカのシンディから、会ったこともないわたしにサイン入りのレコードと『夏物語』の感想がびっしり書かれた手紙とプレゼントが届いたんですよね。もう、シンディの優しさがぎゅっとつまっていて。シンディは本当にこういう人なんだなって。あれは本当に奇跡的な瞬間でした。  

同じようにうれしいのが若い読者からの反応です。わたしは読者がいちばん大切です。みんなミエコって呼び捨てにしてくれて、親しみを感じてくれているの。ほかにも自分をミエコスタン(ミエコの熱狂的ファン)と呼んでいて、本を持って自撮りした写真に『アイアムミエコスタン』ってキャプションをつけてソーシャルメディアに上げてくれたりね。そういうのを見ると、たまらない気持ちになりますね。あと、『ヘヴン』や『夏物語』を読んだ人が、これを日本語で読みたいから日本語の勉強を始めました! と言ってくれるのもびっくりだし、すごくうれしいですね」  

小説というものはそれ自体で自立するわけではなく、読み手にさまざまな影響を与え、より大きな動きとなっていく。たとえば、川上が審査員を務める新人賞には若い女性たちからの応募が増えているのだとか。 「こんな時代に文学を読もう、書こうなんて人は何かしらの生きづらさを強く感じているんだと思う。それがお金なのか、人間関係から来るのかはわからないけれど。彼女たちがわたしのインタビュー記事やプロフィールを読んで、音楽をやったけれど売れなかったとか、シングルマザーに育てられたとか、大学を出ていないとか、ストリートの側面を知ってくれたときに、『ミエコができたんだからわたしにもできるかも』『ガッツがあれば行けるんだな』って思ってくれているんじゃないかと思うんです。そう言われたら、わたし、そうそう、あなたにもできるよって言いたいんです。  

もちろんみんなそれぞれ条件も違いますよね。身体が健康だということひとつとっても自分では選べない。だから、『みんな頑張れば誰々のようになれる』とは思わないけれど。文学に対する気持ち、文章を書きたいと思う気持ちは独特のもの。とりわけ若い子の思いが切実なのを知っているから、すごく応援したいです。  たとえばアメリカでは、大学でライティングコースをとらないと作家になること自体かなり難しいらしいんです。でも日本では新人賞という制度があって、わたしのようにストリート出身でも作家になることができる。そのことが若い人の背中を押しているのだとしたらうれしいな」 

人生の基盤を成す 働く女とシスターフッドの原風景  

シスターフッドを描きたかったという『黄色い家』のベースには、川上自身が「シスター=姉妹」たちに向ける温かい気持ちがある。その背景には彼女を育てた祖母、母、姉という女系家族や、彼女が若い時期を過ごした夜の世界のシスターフッドがあるのではないだろうか。 

「弟以外は全員女という家に育ったことは大いに関係していると思う。昼はスーパーで働いて、夜は水商売をしながら女手ひとつで育ててくれた母を見て育って。母に限らず、夜の仕事をしていると、みんな危ういし、雇用状況も不安定。保障がない、そのなかで人が生きていく姿を、わたしは人生の初めから見ています。そんな夜の世界で真面目に働く女の人たちの像がわたしの人生に大きな影響を与えていますね。保険に入れない女たち、保障を受けられない女たちにわたしは育ててもらったんですよね。  

自分が水商売の世界に入ってからは、厳しい側面もあるけど、助け合うシスターフッドをたたき込まれました。ニューヨークタイムズのインタビューではわたしの『わたしは“ホステス・ユニバーシティ”を卒業したの』という発言が引用されていましたが、ほんとに、そう。みんなが四年制大学で勉強して、人格形成に大きく影響する年の頃に、わたしは北新地のクラブで、大ママや、ママやホステスさんたちと一緒に働いて、いろんなことを学びました。男の人も、酒もお金も、欲も絡む、ハードな世界です。でも、いまも北新地に行ったら必ずママに会いに行きますよ。みんな大事にしてくれて、礼儀も、人にたいする姿勢の基本も、すべてを教えてくれました。だから、わたしの行動原理は、そういうやりとりのなかで培ったもののなかにあるのかも。  

いまは若い人たちに、上の世代が『頑張れ』と声をかけたらプレッシャーになって、パワハラになってしまうおそれがある時代ではあるけれど、それでも、わたしはいつも若い子たちに対して頑張れ、頑張れと思ってます。どんなにまわりから恵まれているようにみえても、若いときは、いつでもつらいもの。もちろん年をとっても、ですけれど」  

ところで彼女自身が作家として、あるいは私人としていま切実に感じているのはどんなことなのだろうか。 「世界には、誰も望んでもいないことが、この瞬間にも起きています。そして明日起きることを、わたしたちは誰も、何も知らないんです。不安だし、眠れなくなることもありますよね。いろんなことを考えて。でもね、確かなことは、“今”があること。こうして“今”、わたしたちがいること。“今”ここに、何かがあるんだということ。過去は自分の一部だし、未来を想像するのも大切なことではあるけれど、でも、やっぱり“今”なんです。そんな“今”を繋げていくこと、瞬間、瞬間を大切にすることが、生きることなんだなって、すごく思っています」  

川上が家族や夜の世界のシスターフッドに大切に育まれ、そこに生きる人々から受け取り、学んできたもの。たとえばシンディ・ローパーから受けとった愛情深さと励ましの力。それらが書くことを通じてさらに循環していると強く感じさせられるインタビューだった。今後「生き延びた」先の世界の景色が溶け込んだ、まだ書かれていない作品はどのような色を見せてくれるのだろう。もちろんそこにはすべての川上作品に通じる温かさがあるに違いない。

Photos: Keiichiro Nakajima Text: Yoshiko Yamamoto Stylist: Yoko Kageyama at Eight Peace Hair & Makeup: Mieko Yoshioka Editor: Yaka Matsumoto

問い合わせ/
ヴァレンティノ インフォメーションデスク 03-6384-3512
グッチ ジャパン クライアントサービス  0120-99-2177