ラン・サマンサ・チャンの両親は、彼女が子どもだった頃、ホリデーシーズンとは一切関わらないと決めていた。しかし冬の暗闇の中で、家族は再び春節の喜びと再生に出合う。
私の春節の準備はバスルームから始まる。旧暦の大晦日はバスタブに熱い湯をはり、浴室を蒸気でいっぱいに満たす。裸足になって、つま先を縮めるように冷たい床に立ったら、一房の髪と爪を切り、ゴミ箱に捨てる。切った髪と爪のかけらは不運の象徴だから。そしてシャワーを浴び、せっけんを泡立て、体中の汚れを丹念に落とす。「この一年間の不運をしっかり洗い落としなさい」。母は私たちにそう命じたものだ。まるで一年間の不運が垢となって肌に積み重なっているかのように。そして年が改まる特別な夜にだけ、その垢を落とすことができるかのように。
旧暦の大晦日の入浴は、亡くなった両親から受け継いだ多くの習慣の一つだ。いや、迷信と言うべきかもしれない。この習慣の背景には、肉体も家も、すべてのものは無垢であるべきだという考えがある。家はきちんと片付け、何より掃き清めることが重要だ。そうすることで過去のトラブルと決別し、新しい年をいっさいの禍根なしに、完璧にまっさらな状態で始めることができる。父と母は1950年代に中国を離れ、アメリカで新たな人生を始めた。しかし、それまでの長い中国での暮らしを通じて、人間は年に一度、その年の災厄を払い落とすチャンスを与えられ、年が改まるたびに成長するというヴィジョンがしっかりと根を下ろしていた。
両親が実践していたさまざまな儀式は、世界各地の中国人に受け継がれてきた春節の伝統のほんの一部にすぎない。しかし2人は自分たちの儀式について信念を持っていた。必ず食べなければならない縁起物があった。手間のかかる小豆入りの餅、蒸し餃子、生姜とネギをのせた魚の丸焼き、たくさんの果物、特にオレンジとライチ。ただ、ライチはぜったいに蟹と一緒に食べてはいけないと、母は脅すように言った。この食べ合わせは身体を芯まで冷やし、命を奪うことさえあるのだという。汁物を作ることも禁忌だった。「正月に汁物を出すと、その一年間は特別な日に必ず雨が降るようになる」と母は説明した。
両親は、新しい年が恵みの多い年となるよう熱心に祈った。健康はもちろん、特に求めていたのは金銭面の恵みだ。正月の2日目になると、両親は赤い服に身を包み、お金の神様に出会うために凍てつくウィスコンシンの街を文字通り隅から隅まで歩き回った。お金の神様に出会えれば、豊かな一年を過ごすことができるらしい。この儀式に対する私の疑問が答えに行き着くことはなかった。「お金の神様ってどんな人」とたずねても、母は「誰も知らない」と答えた。
いくら追及しても、2人は無言で私の質問を封じた。欧米式の教育を受けた私は、「合理的」な価値観を説かれて育った。迷信は無知な人間が信じるもので、話題にしようとすれば叱られることさえあった。私は口をつぐみ、耳をそばだてることを学んだ。私たち姉妹は、父と母がドアを閉めた部屋の中で、生まれ年の干支をもとに私たちの学業面の見通しや娘としての出来を声を潜めて話し合っているのを聞いたことがある。私たちの誰かが部屋に入ると、2人はすぐに話をやめた。非合理的なものを信じていると知られたくなかったのかもしれないし、娘たちが運命論に屈しないよう守りたかったのかもしれない。大学に進むために家を出てからも、春節の時期になると母から電話がかかってきて、私や姉妹の新年の運勢を教えてくれた。運勢が悪い年は赤いブレスレットをつける。母は、干支占いなど中国の新聞の作り話だと主張し、自分は信じないと言い張った。しかし、しばらくすると、やれ辰年生まれの女(私)は晩婚だ、午年生まれの女(長姉)は結婚しないなど、娘たちの行く末を案じる言葉が母の口からこぼれた。
あれから数十年がたち、両親は亡くなった。今になって不思議に思うのは、両親の春節はなぜあれほど迷信にまみれていたのか、だ。父と母はどちらも米国の大学を出ていて、父はコロンビア大学で工学の修士号も取得している。自分は西洋的な合理性を身につけていると自負していた2人が、特定の儀式を行うことが幸運を引き寄せると本当に信じていたのだろうか。答えを知る術はもうない。母は2014年にこの世を去り、母より長く生きた父も2020年に97歳で帰らぬ人となった。 両親が豊かな暮らしに憧れていたことは間違いない。母が金銭を欲したのは、不確実な未来への不安を打ち消すためだったのだろう。纏足の廃止からわずか40年後に生まれた母は、心理学を学んだ後に父と結婚し、私たちを育て、立派な教師となった。母は私の知る限り、最もオープンな心の持ち主の一人だ。しかし教育や環境の重要性を信じる一方で、母は深い部分で自分以外の大いなる力が必要だとも考えていた。戦時の中国で育ち、頼る家族もいないアメリカで貧しい学生時代を送った母は、いつも何かを願い、祈っていた。その結果、一種の運命論のようなものを持つに至ったのかもしれない。
一方、科学分野の技術者だった父は、苦労して西洋の科学教育を受けた。古い慣習など鼻で笑っていた父が、この件については沈黙を貫いた。母の言うことに何の反論もしない。父は日本占領下の中国大陸で育ち、戦争のさなか、19歳になる前にホームレスになり、飢えも経験した。父の人生は、まるで長い綱渡りのようだ。30歳のときに身一つでアメリカに渡り、わずかな給料で家族を養い、4人の娘全員を何とかアイビーリーグの大学に送り込んだ。私自身も親になった今、父が一家の大黒柱としての責任を感じていたこと、だからこそ不運に対する恐れが父の心に深く根を下ろしていたことが分かる。私が物心ついたときから、父はよく悪夢を見ていたが、その根底には恐怖心があった。
初めてウィスコンシン州に引っ越してきたとき、父と母はアメリカのホリデーシーズンとは一切関わらないと決めた。2人は、この国の風習を信じていなかった。赤い服に身を包んだ太った白人が煙突から降りてくるというストーリーは、薄気味悪いおとぎ話にすぎなかった。ウィスコンシン州アップルトンには、世界最大のお祭りとも言われる春節を知っている人などほとんどおらず、世界各地で親族が集まり、餅菓子を作り、賑やかに新年を祝う春節の風習は、周囲の人々には何の意味も持たなかった。
しかし一年後、両親は何かを楽しみに待つことの重要性に気づいた。私たちは春節だけでなく、アメリカのクリスマスや感謝祭も祝うようになった。町にも中国系の家族が増え、大晦日には大勢で食卓を囲んだ。母はほかの母親たちと来年の星回りに関するおしゃべりに花を咲かせた。午年生まれの長女が幸せな結婚をしたあとも、母の心配事はつきなかった。
私は今、アメリカ中西部の大学で教鞭をとる中国系アメリカ人として、同僚や友人、家族と共に春節を祝いたいと願っている。春節は文化的な祝日であり、冬が最も寒く、暗くなる時期に光をもたらす祝祭の日だ。私は両親への愛と忠誠、そして2人の人生への敬意を示すために両親の習慣を受け継いだ。アメリカ中西部の小さな街で春節を祝うことは、この伝統を知らない友人たちに私なりの儀式を披露することを意味する。私は春節の習慣を、中国系ではないパートナーとの間に設けた私の娘、つまり私の両親やその世界とはさらに一世代離れた娘にも説明した。
今回の大晦日に掃除の時間を取れるかどうかは分からない。でも、バスルームでの儀式には1時間を確保するつもりだ。家族のために髪を切るスケジュールを立て、中国系以外の友人には忘れずにからだを洗い、爪を切り、髪を切るようメールを送る。来年は辰年ではないが、職場の棚を探って、今は亡き恩師が新年のお祝いにくれた、翼の金箔が剥げ落ちた古いドラゴンのぬいぐるみを探しだそう。そして学生たちから有志を募り、パーティーの準備を始める。それから大勢の人を招いて、にぎやかな中華料理のランチパーティーを楽しもう。皆で食べ、騒ぎ、悪霊を追い払う。スマートフォンを取り出してそれぞれの干支を調べ、卯年の運勢を予測する。そして翌日は、お金の神様が私を見つけてくれるように赤いものを身につけて、町中を隅から隅まで歩き回るつもりだ。
ラン・サマンサ・チャン(Lan Samantha Chang)は小説『The Family Chao』の著者。
Styled by Gabriella Karefa-Johnson Hair: Charlie Le Mindu Makeup: Fara Homidi Manicure: Miku Tsutaya Models: He Cong, Sherry Shi, Sora Choi and Yumi Nu Tailor: Cha Cha Zutic Produced by Hen’s Tooth Productions Set Design: Griffin Stoddard Caption Text: Akane Maekawa