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祝ジョルジオ・アルマーニ 89歳!格言から見る「モード界の帝王」のデザイン哲学。

イタリアを代表するデザイナー、ジョルジオ・アルマーニが7月11日、89歳の誕生日を迎えた。ジャケットを再構築し、グレージュを生み出し、メンズ、ウィメンズともにスーツに革命をもたらした“モード界の帝王”。生涯現役を貫く彼の功績を讃えるべく、ストイックなデザイン哲学が宿る名言とセレブが着用しレッドカーペットを沸かせた美しいドレスの数々を見ていこう。
ジョルジオ・アルマーニの格言 名言

「シンプルで控えめな、本質的なものを求める僕の好みも、子供のころのそんな経験からはぐくまれているのかもしれない」

1960年代のジョルジオ・アルマーニ。 Photo: Leonardo Cendamo/Getty Images

ジョルジオ・アルマーニが幼少期を過ごしたのは、ムッソリーニの独裁政権が勢力をふるい、第二次世界大戦へと突入していった時代だ。父親はファシスト連盟で事務として働き、母親は社会活動に積極的な主婦だった。決して裕福ではなかったものの、市民劇場のかつら職人だった祖父に連れられて劇場をよく訪れたり、日曜日に映画館に行ってイメージを培ったりと、経験豊かな少年時代を過ごした。母親は軍服やパラシュートの布地を開襟シャツや半ズボンにリメイクしてジョルジオたち兄弟に着せたという。

裕福な家の子の服にも見劣りしない出来栄えで、ジョルジオは「豊かな家庭ではなかったからこそ、お金をかけずにきちんとした服装を子どもたちにさせる才能を母は持っていたんだ」と回想している。思春期になっても着る服は兄のお古ばかりだったが、天性の美的感覚はすでにそなわっていたようで、母親が飾るテーブルセッティングに納得がいかずに口を出したり、高校の同級生に服装のアドバイスをしたりしていたという。

「僕は、時代の空気を読んで、チャンスをつかんだんだ」

クローニンの小説『城砦』に感銘を受け、医学を志して国立ミラノ大学の医学部に入学したものの、自分は医者に向いていないと3年生で退学。兵役に就きながら職探しをして、幼なじみからの紹介で働き始めたのがミラノの大手百貨店リナシェンテだ。広報部の写真家アシスタントとしてキャリアをスタートさせ、生来の観察眼の鋭さを武器にショーウィンドーのデコレーター、紳士服のバイヤーとステップアップ。バイヤー時代には、英国スタイルのアイテムをミラノでも買えるよう、ツイード地のジャケットとコーディネートする黄色のベストを輸入して大成功させた。

「着る人の個性を際立たせ、一人ひとりの体にフィットする服はないものかと思ったものだ」

アルマーニの才能が徐々に業界に知られるようになったのは、ニノ・セルッティが立ち上げた紳士服ブランド「ヒットマン」に携わるようになってからだ。柔らかな生地やクールな色合いを選ぶようになり、ボタン位置をわざとずらし、肩パッドを薄めにするなどフォーマルで堅苦しかったメンズジャケットをソフトで着心地の良い若々しいイメージへと変えた。

「すばらしい仕事だと理解してもらうのは至難の業だった」

イタリアには当時、「スティリスタ(ファッションデザイナー)」という言葉は存在せず、この職業は二ノ・セルッティがアルマーニのことを「私のスティリスタ」と表現したことで使われるようになったという。広告キャンペーンにおいても、アルマーニは新しいことに挑戦した。

オリヴィエ―ロ・トスカーニとともに制作した広告は、長髪の男性のアップに「ヒットマン・バイ・アルマーニ」のキャッチコピーだけ。風になびく髪に隠れて顔も見えなければ服も写っていない。今でこそこうしたコンセプチュアルな広告も一般的になったが、当時は「肝心の服が写ってないじゃないか」と批判された。アルマーニがおこなうことは何から何まで革新的だったのだ。

「エレガンスを失わずに機能的で動きやすい、無駄のないラインを求めていたんだ」

1970年代に撮影。 Photo: Adriano Alecchi/Mondadori via Getty Images

1975年、アルマーニは公私にわたるパートナー、セルジオ・ガレオッティとともに独立して初めてのメンズコレクションを発表。その3か月後には、初のウィメンズコレクションのショーをおこなった。ウィメンズのショーで発表したメンズライクなジャケットにプリーツスカートを組み合わせたツィードのスーツは、たちまち大評判となった。それまでの人形のように着飾るための女性の服から、男性と変わらぬ生活を送り、服に対しても同じような要求を持つ女性たちに向けたスーツが誕生したのだ。

「僭越ながら、アメリカ男性に装い方というものをアドバイスするために来た」

1987年、NYにて。 Photo: Bernard Weil/Toronto Star via Getty Images

アメリカは、アルマーニの服がもつ重要性をいち早く見抜いた国だ。女性の社会進出が進み、新たなスタイルを必要としており、アルマーニのスーツは職場にふさわしく、それでいて優雅なアイテムだったからだ。1979年に彼は「ジョルジオ アルマーニ メンズウェアコーポレーションUSA」を設立。これを成功させたことで、アメリカ人がイタリアに対して抱いていたイメージを大きく変えることとなった。ネオレアリズモの映画を通して形成された“薄暗く、苦悩に満ちた、高潔だが貧しい”というイタリアに対するイメージは、“エレガンス、グラマラス、見るものを唸らせる才能、美的感覚と創造性に優れた国”へと変化し、現在も変わらず浸透している。

「仕事をしている人のために服をつくるのが好きなんだ。俳優や女優も働く人間だし、スター云々は関係ない」

1978年、第50回アカデミー賞授賞式にて。アルマーニのジャケットを纏った女優のダイアン・キートン。 Photo: Walt Disney Television via Getty Images Photo Archives/Walt Disney Television via Getty Images

アルマーニがセレブリティに愛用されるきっかけとなったのがダイアン・キートンだ。1978年4月、ウディ・アレン監督の『アニー・ホール』でアカデミー主演女優賞を受賞したダイアンは、アルマーニのジャケットを着て登壇した。また1980年公開の映画『アメリカン・ジゴロ』への衣装提供はリチャード・ギアを80年代を代表する俳優へと押し上げ、アルマーニ・スタイルを誇示することにもなった。

その後どれほどセレブリティに愛されているかは周知のとおりだろう。ダイアナ・ロス、ドナ・サマー、ローレン・バコール、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソンなど錚々たる面々がアルマーニの虜となっている。しかし彼は、“セレブ御用達のデザイナー”というレッテルを嫌う。「服を着るという行為は、純粋な楽しみであり安らぎなんだ。自分らしさや自信を得るための、ひとつの方法にすぎない」

「セクシーさとは、肌を露出することではありません。体にあった服を着て自信たっぷりな表情を浮かべる。それほどセクシーなことはないのです」

1991年、第61回アカデミー賞授賞式のデミ・ムーア。 Photo: Jim Smeal/Ron Galella Collection via Getty Images

デミ・ムーアが1991年のゴールデングローブ賞で着用したタキシードスーツや、2004年にアカデミー賞でジュリア・ロバーツが着用したサテンのドレス、ケイト・ブランシェットニコール・キッドマンレディー・ガガなど、レッドカーペットで俳優たちをさらに輝かせているのがアルマーニのドレスだ。彼はイブニングドレスについても確固たる信念を持っており、「たとえレッドカーペットで着るような華やかなドレスであっても、着る人の個性を奪ってはいけない。服はあくまで、着る人の個性や魅力を際立たせるためのものだ」と語る。

2004年に開催された第86回アカデミー賞授賞式で、ビーズやスパンコールが煌めきドレスを纏ったケイト・ブランシェット。 Photo: Jason Merritt/Getty Images

「ありきたりで見え透いた表現や何かを必要以上に強調すること、あからさまで単純すぎることは避けているんだ」

ジョルジオ アルマーニ プリヴェ 2005年春夏オートクチュールコレクション。

これほどセレブリティに愛されているアルマーニだが、オートクチュールコレクション「アルマーニ プリヴェ」がスタートしたのは、意外にも2005年のことだ。それまでもイブニングドレスを制作・販売していたものの、プレタポルテとの価格が違いすぎるために新たな販売方法の必要性を感じたのだという。かつて「莫大な投資が必要で、僕たちには手が届かなかった」と語っていたイブニングドレスに、アルマーニは70歳をすぎて挑戦したのだ。独自のスタイルを確立しながらも、それに縛られることなくモードに対する考え方を変え、フェミニンな服も作るようになった。曲線が多用された女性らしいシルエットのイブニングドレスは世間を驚かせた。

「ミスをする人間に対して寛容な態度をとることはない」

1990年代のポートレート。 Photo by Andrea Blanch/Getty Images

デビュー当初から、ある種の威厳が備わっていたといわれるアルマーニが「モード界の帝王」と呼ばれるのは、強靭な意志や美学を貫き、自らのライフスタイルと一致させる姿勢からだろう。仕事に対してもストイックだ。「過ちはけっして許さないんだ。他人に対してだけでなく、何よりも自分自身に対して、僕はつねに最高の仕事を求めている。中途半端で安住することはありえない」

チームを組んでの仕事を理想としているが、活発な議論ができるチームを目指している。議論することで眠っていたアイデアが刺激され目覚めることがあると知っているからだ。1990年代半ば、増え続けるコピー商品に対して、アルマーニは模倣するのが難しい服を発表することで牽制した。「入念なディテールやバイアスカットなど、再現が難しいテクニックを駆使して服をさらに個性化することに心を砕いたんだ」。自らのコレクションに絶対の自信がある帝王だからこそできる対応だろう。

「ゴールは定めていないし、普通で平凡な生活を愛しているんだ。控えめであることに喜びを感じているよ」

ジョルジオ アルマーニ プリヴェ 2021年秋冬オートクチュールコレクションにてダイアン・クルーガーと。 Photo: Courtesy of Giorgio Armani

ジョルジオ アルマーニ プリヴェ 2021年秋冬オートクチュールコレクション。 Photo: Courtesy of Giorgio Armani

2021年7月6日に発表されたアルマーニ プリヴェ(ARMANI PRIVÉ)の2021-22秋冬コレクションでは、サテンやシルクといった光沢感のあるテキスタイルを使用。極細の金属糸を織り交ぜたフューチャリスティックな生地は光を受けて煌めき、黒、グレージュのほかブルー、パープルピンク、ベビーピンクなど明るいカラーがミックスされ、これからの未来を象徴するような希望に満ちたイメージだ。

ショーの最後には、彼自身がランウェイを歩いてゲストに挨拶をした。今年87歳を迎えたが、姿勢もよく実にエネルギーに満ちあふれている。生涯現役── 自身の生き方とクリエーションにつねにストイックであり続ける「モード界の帝王」の姿は、これからも私たちを触発する。

【参考文献】
『ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学』レナータ モルホ 著、目時 能理子/関口 英子 翻訳(2007年 日本経済新聞出版)

Text: Yoko Era Editor: Mayumi Numao

尽きることのない夢への冒険。
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