FASHION / EDITORS

閉塞感に満ちた114分から広がる希望と可能性——オスカー候補作『イニシェリン島の精霊』(Toru Mitani)

第95回「アカデミー賞」の主要8部門9ノミネートの話題作『イニシェリン島の精霊』(公開中)。そこに描かれていたのは、圧倒的な閉塞感とどうしよもない人間のエゴ。鑑賞後、時間が経過していくごとにそのメッセージ性が膨らみ、とんでもない作品だったことに気付く。

親友は、自らの鏡。可能性を見出す決意とは?

島で友情を育んできた2人。Photo: Jonathan Hession / © Searchlight Pictures / Courtesy Everett Collection

2018年の「アカデミー賞」作品賞ノミネート作『スリー・ビルボード』(2017)を手がけたマーティン・マクドナー監督による最新作が話題だ。オスカー候補になっていることはもちろん、その容赦ない“悲劇”の描き方にさまざな意見が飛び交っている。

曇り空の下、澄んだ空気が漂っているはずにも関わらずグレーに染まった画面からは淀みを感じる。そこに覇気はなく、孤島で暮らす人々の表情は曖昧。1920年代、アイルランドから孤立したイニシェリン島のとある親友同士の男2人が今作の主人公である。しかし、冒頭数分で2人は親友ではなくなる。初老に見えるコルム(ブレンダン・グリーソン)は、コリン・ファレル演じるパードリックに「もうお前は友達じゃない」と告げるところから物語が始まる。

妹、シボーンの決断が物語に広がりをあたえる。Photo: Jonathan Hession / © Searchlight Pictures / Courtesy Everett Collection

時間を持て余す2人は毎日のようにパブで酒を酌み交わし、語り合ってきたのだろう。その友情はどこで壊れたのだろうか、と数々のシーンに注意を払い心理を読み解いていく。でも、そこにはまったく答えが見当たらない。そしてふと気付くのだ。“そもそも友情は壊れていない”と。

『スリー・ビルボード』で警官がとある男を2階のガラスに叩き突きつけ、外へと突き落とすというありえないシーンがあったが、今作でもその“ありえない”描写がいくつか出てくる。コルムはパードリックを突き放すために、もし近づいたらとある部分を切り離す、と言い放つのだ。しかもそれは有言実行。そのありえない行動を見ながら思うのは、それほどに一緒にいてはならない、という強い意志だ。

閉塞感に満ちた世界の先にあるもの

バリー・コーガン演じる青年は今作のキーパーソン。彼の一言が大きな手がかりに。Photo: © Searchlight Pictures / Courtesy Everett Collection

終始薄暗く、見えない壁に包囲された孤島。海を隔てて見えるのは、内陸で繰り広げられる戦争の砲弾や煙である。当然、そんな危険な向こう側には行きたくないというのが自然な人間の気持ちかもしれない。でも、この閉ざされた世界にだけ留まることの方がよっぽど恐ろしい。そのある種の警鐘のようなものが脳に迫ってくる。終始、島の中を描いているだけにも関わらず。

友情関係を解消したいと願うコルムは、音楽に目覚める。しかし、クラシックに対しての知識はない。その稚拙さに気付くのはパードリックの妹、シボーンだけ。そんな彼女は唯一、とあるタイミングで孤島を出ていくのだ。そこでようやく気がつく。「外にはとてつもない可能性と希望に満ち溢れている」ということに。

パードリックを演じるのは、俳優として成熟期に突入したコリン・ファレル。Photo: Jonathan Hession / © Searchlight Pictures / Courtesy Everett Collection

イニシェリン島は、私たちの社会にそっくりそのまま置き換えられる。新しいチャレンジを試みる際、デメリットが見えたり危険性に気が付いたりし、アクションを止めてしまうことがある。まさに、その人間の受動性と能動性、コンサバティブとアドベンチャー。そのバランスを新しい角度で考えさせる。それが『イニシェリン島の精霊』のとてつもないメッセージ性だ。ただ、今作はほぼ保守派が醸すどうしようもなさ、やるせなさのみに集中している。だから新しい。

大切にしていたロバの行く末にも注目。 Photo: Jonathan Hession / © Searchlight Pictures / Courtesy Everett Collection

ゆるやかなカーブを描き、海と空と緑に満ちた雄大な島の景色。それと相反する、どうしようもない人間の愚かさと保守性。そこで繰り広げられる“小さな戦い”は、外の可能性を知らないがゆえのもの。この縮図を眺め、さまざまな捉え方ができると思う。いじめにあっている少年にとんでもない勇気を持つかもしれないし、小さな野望が膨らんで迷いなく仕事を辞める人がいるかもしれない。一見「不毛な人間のやりとり」と見えるが、そうではないのが今作のマジックなのだ。

向こう側は美しい。外に出ないとわからない。えぐいほどの閉塞感の先にあるのは溢れ出んばかりの“可能性”。マクドナー監督節とも言えるシニカルな笑いで緊張した筋肉をほぐしつつ、この希望ある悲劇をじっくりと鑑賞するのはいかがだろう。