アップル社ヴァイスプレジデントが見た「iPadが斬り開く新たなクリエイティビティの地平」

10月、iPadがアップデートした。クリエイティビティを引き出すこのデバイスについて、アップル社ワールドワイドマーケティング担当で副社長、ボブ・ボーチャーズに、林信行がインタビューを行った。
アップル社ヴァイスプレジデントが見た「iPadが斬り開く新たなクリエイティビティの地平」
© 2022 Brooks Kraft

タブレットという新しいカテゴリーを世界に普及させたiPadは、2022年で誕生12年を迎えた。10月には新製品発表が行われ、ついに最も手頃な標準iPadからホームボタンがなくなり、パソコンと同じUSB-Cと呼ばれる周辺機器接続端子が搭載されたり、クリエイター用のiPad Proにパソコン用の高性能プロセッサ「M2」が搭載されたりと、製品が大きく進化。それに合わせて、アップル社製品のワールドワイドプロダクトマーケティング担当で副社長のボブ・ボーチャーズが日本を訪れた。ボーチャーズは、今回、フラワーアーティストの東信(あずままこと)氏など、iPad活用の先駆事例を生み出すクリエイターらを訪問したという。ボーチャーズにiPad活用の最前線を訊く。

世界のクリエイターたちが、iPadの新しい地平を斬り開く

「東さんはすごかったですね。“花を装う”という古くからある仕事を、iPadという最新の道具と見事に融合していている様は、とてもインスパイアリングでした。彼らは、これから花を飾る場所で、どんな色の花をどう並べるのが良いかをiPad画面上でシミュレーションしています。iPadという道具を手にしたことによって、それまではできなかった新しい作業方法がアンロックされたのです。東さんだけでなく、日本にはiPadでイラストや漫画を描く方々が何人もいますが、そうしたiPad活用の最前線を切り開いている方々に会い、どう使っているかを見るのは刺激的です」とボーチャーズは述べる。

確かに2010年の登場以来、iPadは医療から学校教育、農林水産業、ファッション、ビューティー、観光、育児、そしてクリエイティブの最前線まで、じつに多様な分野で使われてきた。世界のさまざまな国で活用の最前線を見ているボーチャーズに、日本にこれからやってきそうな海外での活用事例を訊いてみた。

ボブ・ボーチャーズ

© 2022 Brooks Kraft

「最近、海外ではiPadを使った映像制作が盛んになってきています。映画やテレビ番組の制作に使う人もいます。でも、それ以上に増えているのがYouTubeなどのソーシャルメディアでの動画番組制作に使う人々です。彼らにとってiPadは、制作の前準備においても、撮影後の編集作業においても重要な道具です。これまで紙で行っていたストーリーボードや台本制作からiPadで作り始めます。その後、撮影には専用の映像機材を使いますが、それをiPadに取り込んで、ProRes(プロレズ、加工をしても高い画質を保てる動画形式)に変換します。そして色の補正(カラーグレーディング)などの映像編集作業を加えていきます。こうした新世代の映像クリエイターらは、それまで使っていた紙書類や巨大な確認用モニターに別れを告げ、ほとんどの作業をiPadで完結させています」

この秋、登場したiPadの最上位シリーズ、iPad Proは、アップル社が開発した第2世代のプロセッサ「M2」を搭載。負荷の大きなProRes動画が快適に編集できるように進化しているが、それにはどうやらこういう背景があったようだ。

「最近、Adobe社がFrame.ioという技術を買収しました。iPad上で映像制作の進捗を確認したり、撮り溜めた映像素材をクラウド上で管理できたりするようになり、iPad映像制作の流れはさらに加速しています」

ほんの十数年前まで、こうした高度な映像編集はデスクを埋めるいくつものデッキやモニターを操作して行っていた。スタジオの外での編集となると、こうした機材をトラックに積んで運んでいたのを見た人も多いだろう。編集スタジオに迫るこの編集環境が、今はiPad Proという雑誌1冊ほどの薄い板に収まっているというのだから、確かにこれは映像制作の革命なのかも知れない。

「ただ、そうした個別の応用事例以上に重要なのが、iPadの汎用性の高さでしょう。多くの人はiPadを特定の目的のために買いますが、やがてその汎用性の高さによって、ほかのもっと新しいチャレンジに取り組み始めるのです」

確かに東信も、フラワーアレンジメントに使っていたiPadを、電子決済端末としても使い始めたと聞いたし、最近ではフラワーロスのないデジタルイメージの花を贈りあうサービスを開発するなど、次々と新しいチャレンジを始めている。

耐王国

© Apple 2021
シンプルだから“使える”

iPadを活用し、海外でも有名な日本人クリエイターと言えば、イラストレーター兼漫画家の寺田克也が思い浮かぶ。彼も最近、イラストの描画に加えて、3Dアプリを使ってキャラクターを立体的に描くチャレンジを始めているという。

「新たな面白い試みをしているのはクリエイターだけではありません。たとえば、iPadで授業のノートをとる米国とタイ王国の学生たち。Apple Pencilの手書きのノートをほかのアプリと組み合わせて、見た目も美しく、さまざまな機能が詰まっている面白い勉強ノートを作るのが流行っているようです。また、アート作品のような美しい仕上がりのノートを作っている生徒たちも話題になっています。かと思えば、ユナイテッド航空の全パイロットが、航空機の点検やメンテナンスにiPadを使用し始めたりと、iPadの活用の幅は常に広がり続けているのです」

ボーチャーズ曰く、さすがのアップルも、こうしたiPadの活用のすべてを把握できているわけではないという。だからこそ、今回のように先駆的な事例を作るユーザーを訪問しては「活用の可能性を学び、障壁を取り除くように働きかける」のだと述べる。

この「障壁を取り除く」というのが、じつにアップルらしいユニークなアプローチだ。

ほかの多くのテクノロジー企業は、人気の事例があると、それを誰もが簡単に真似をできるように最適化し、それを標準機能としてしまうことが少なくない。これに対してアップルは、機能を追加するのではなく、ただ“障壁を取り除く”だけなのだ。だからこそ、その使い道が限定されず、むしろ、どんどん広がっていくのではないだろうか。

「これはアップルの社内文化に染み付いているのですが、アップルのものづくりはとにかくシンプルにする、シンプルにする、シンプルにする……それに尽きます。良いアイディアを集約して、最もシンプルで最もパワフルな形になるまで洗練させるのです。これが我々の極めて特徴的で情熱的なアプローチなのです」

シンプルだけれどパワフル。だからこそ、人にインスピレーションを与え新たな創造を促す。

これからもiPadは、クリエイティビティの新たなフロンティアを開拓し続けることになりそうだ。

PROFILE

林信行

フリージャーナリスト・コンサルタント。グッドデザイン賞審査員。金沢美術工芸大学名誉客員教授。1990年以降、IT最前線を取材するジャーナリストとして活動を開始。今はデザイン、アート、伝統産業など領域を横断し22世紀に残すべき価値を探究。