哲学史に埋もれた女性思想家たち。
有名な哲学者の名前を挙げてみてください。そう言われて女性の名前をそこに入れられる人は決して多くはないだろう。唯一の例外は、日本でも大人気のハンナ・アーレントかボーヴォワールくらいかもしれない。これが著名な文学者となれば、話は別だ。なんといっても世界で最初の長編小説家は紫式部だし、ウルフもデュラスもサガンもいる。現代の作家でもビッグネームが、わんさか思い浮かぶ。美術史でもそうだ。全体の割合は少ないが、まだかろうじて何名かの名前は浮かぶ。でも哲学は……。
本書では、哲学史のなかに埋もれた女性思想家たちの多くが、正当なアカデミズムの外に置かれてきた事態が、克明に綴られている。男性たちにひけを取らない強靭な思考の持ち主だった偉大な女性哲学者たちが、ことごとく時の大学や権威と闘い、あるいは利用してのし上がったりしながら、本来は不必要な戦いを強いられていた。哲学者である夫の仕事を手伝いながら名前を奪われた者たちも多い。そして、彼女たちの多くが、きみの言明は真ではない、論理的でないと言われ、意図的に排除され、除外されていた。これは、論理実証主義(数学や論理学の文のような分析的に真な文か、経験的観察によって検証可能な文を有意味とみなす立場)からの糾弾だろう。
論理実証主義の祖であるルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインという哲学者に「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という有名な言葉がある。誰しもこの一言を聞けば、それを知る前には戻れなくなるような、魔術的な響きがあると思う。経験的にも、確信を持って語れないことには発言を控えるべきだと戒められているようで萎縮してしまうが、哲学的にはこの言葉は、それ以前/以後で哲学史を一変するような大きな影響力があった。
二十世紀の大学哲学科には、たいがいこのウィトゲンシュタインから始まった論理実証主義の風が吹き荒れていた。何か問いをもったとしても、論理的に精密な仕方で語らなければ落ち度があると言われたし、つねにその抑圧のなかで語らざるを得なかった。
拭えなかった違和感の正体。
私自身、高校生のころに哲学に惹かれて哲学科のある大学を受けた人間だが、大学を卒業するころ、どうしても哲学科に残ることへの違和感を拭えず、あれだけ願っていた大学院への進学をせず就職活動をした。私の在学中にも論理実証主義の嵐は吹き荒れていた。
その違和感とは、哲学のなかの言葉が、あまりに論理的、理性的で、それ以外のものを排除しているような、そして排除することで自分たちが権威を得ているような、そんな雰囲気に由来するものだったように思う。自分はこんなにも難解なことを理解しているとでもいうような弁論の場が、耐えきれなかった。だから本書のタイトルを見てすぐに購入するも、なんだか闇に葬った苦しさがよみがえりそうで、開くのが怖かった。そして刊行からだいぶ経っての読書になってしまったのだが、予想はみごとに的中した。
偉大な哲学者を陰で支えた女性たちのことで、知らなかったことも多い。たとえば非常に移り気だったという現象学の祖・フッサールの、実にさまざまな草稿のきれはしを、一つの哲学論文に仕上げるために換骨奪胎して初稿にまで仕上げたエーディト・シュタイン。彼女はドイツで哲学博士を取得した二人目の女性だったが、弟子としてフッサールを支えた後、大学職を得る道をまさにフッサールによって閉ざされる。戦争がはじまりユダヤ人だった彼女はナチスを逃れ修道女となるも、アウシュビッツで亡くなる。つい最近まで彼女がフッサールの著作に成した業績は、認められもしなかったという。なんという運命、なんという悲劇。どんなに悔しかったか、彼女の感情を、不必要なまでに想像してしまう。
古来哲学はメイドや使用人がいなければ発生していない、などと揶揄されてきた。ソクラテスやプラトンには、妻と、身の回りのことをすべてやってくれる奴隷がいたからこそ、散歩をしながら思索や議論に励み、哲学が生まれたのだと。哲学は世界の成り立ちの基礎、ここにこうして「ある」ということへの問いから生まれるので、たとえ家事に追われていようと、子育てに奮闘していようと、その人の生きる場所から生まれる哲学があるはずだ、と私は思ってきた。というよりも、歯を喰いしばって「そうあらねばらならない」と思ってきたのだが、その感情は「そうあらねば悔しい」という感情とも、うらはらだったのかもしれない。
哲学を支えた功績者たち。
本書を読みながら、陰日向で哲学を下支えした彼女たちの悔しさを追体験し、私自身の哲学との距離感をも反芻させられた。家のこと、子どものこと、家族のこと……つねに思考は中断され、生活が割り込んできて、思考の痕跡はいつもとりとめもなく、ふわふわと日々のなかに浮かんでいる。哲学的な問いをもっていても、実際に時間を奪われ、まとめる時間のない女性たちが多くいる。いまも昔も頭のなかはずっと哲学を続けていた彼女たちがいた。ここに名前が載ることもなく、日々のひらめきのみのなかで「哲学」をしていた、名もなき彼女たちに思いを馳せて、そっと本書を閉じた。
いま哲学科は女子学生に人気で、私たちの時代は学年で2人とかそのくらいだったのが、100人ほどの履修生がいるという。それだけでも希望を感じるし、新しい哲学を打ち立てて欲しい、それも何世紀にもわたってその影響が轟くような人がたくさん出て欲しいと願わずにはいられない。その逆はずっと起こり続けてきたのだから。
Text: Yuko Nakamura Editor: Yaka Matsumoto