LIFESTYLE / CULTURE & LIFE

霊長類学者、山極壽一との対談──類人猿の脳や行動から考える、人間社会に必要なこととは?【中野信子の脳探検】

脳科学者・中野信子との対談のゲストは、ゴリラ研究の第一人者として知られる霊長類学者の山極壽一。類人猿と人間を比較しながら、人間の創造性や社会性を育む“遊びと笑いの本質”に迫った。

山極壽一(以下・山極) 人間は霊長類の一種ですが、一番原始的な姿は、縄張りを構える独り猿なんです。みんな独りで縄張りを持って並び立っているから、格差もない。それが次第とオスとメス一緒に暮らして縄張りを持つようになっていったのですが、そのときはまだ対等なんです。また、この段階では、体つきや大きさも性別関係なく同じくらい。でも、群れが大きくなるとオスの体格がメスよりも大きくなり、格差社会が形成された。

中野信子(以下・中野) とても面白いですね。

山極 群れは大きいほうが他の群れに勝るので有利になりますが、群れの中で競合が強まるのでみんなが共存できるようなルールをつくらなければならない。それが先験的不平等という格差社会なんです。あらかじめどちらが強いかを決めておくほうが、トラブルにならなくてすむ。

中野 すでに喧嘩は終わったものとして扱うんですね。

山極 一方で、ライオンなどの捕食者に対抗するためには、各群れのオスが連合して協力しないといけないから、マントヒヒなどはいくつかの群れが集まって大きな集団をつくる。ここではオスたちは勝者をつくらないようにして自立性を保っている。

中野 なるほど。

山極 もう一つ、これは類人猿の世界の話なんですけど、格差を目立たせない仕組みがあるんです。例えば遊びのとき、体の大きな者は自分の体力にハンデキャップをつけて、相手と同等な立場で遊ぶ。遊びは、追いかけたり追いかけられたり、噛みついたり噛みつかれたりと、役割が交代することによって面白くなるし、より長く続けることができるから、そういう快感を得たいがためにハンデキャップを背負うんですよ。

笑い顔と笑い声は、類人猿と人間の脳が共通しているところ

40年間の研究生活を振り返り著した、自伝的著書『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(家の光協会)。

山極 効率を求めるなら、人間もサル化するほうが簡単なんです。格差をつけてしまったほうが、トラブルが起こらないですから。でも、ヒトが進化の過程で発達させてきたのは、条件的平等なんです。遊びだとか食物の分配だとか条件をつけることによって、体格による格差を見えないようにした。

中野 非常に興味深いですね。複雑な社会性を処理するために、人間の脳の前頭葉は進化してきました。それに、美や倫理の認知に前頭前野のほとんどを使っていますよね。

山極 前頭前野は反省するための脳と言われるくらい、欲求を抑制するために働くところ。この部位がここまで発達してきたのは、相手との関係や村の中の雰囲気といったものを察知しながら自身の立ち位置を見定めて、自らの行動を抑制するという方向に進化したからなんです。

中野 その認知の手段として、遊びが使われるわけですね。

山極 遊びを長時間、持続させられる能力は、類人猿と人間の脳が共通するところですが、笑い顔と笑い声も一緒なんです。人間の笑いの起源には2種類あります。一つはスマイルという、相手をなだめる笑い。これは強いサルに反抗する意思はないことを示すために歯を剥き出して、畏怖や媚びを表しているんです。

もう一つはラフターといって喜びの声を出す笑いです。サルにもプレイフェイスという笑い顔がありますが、笑い声は出しません。笑い声は人間以外ではチンパンジーやゴリラなどの類人猿にしか出せないのですが、これは遊びを長引かせる効果を持っているんです。体の大きい者が力を行使してしまったら、弱いほうが怯えてしまうかもしれないですよね? でも相手が笑っていれば、これでいいのだとわかる。

中野 なるほど。遊びを通して、コミュニケーションや相互理解が成り立っているんですね。

山極 遊びは、人間が進化の中で発達させてきた、互いの身体や心を理解して快楽志向のバランスをとる行為です。ところが近年、遊びをあらかじめルール化してしまった。保育園では、「こうやって遊びなさい」と教えてしまうんですよ。型にはめてしまったほうが、効率的だし、簡単です。これを私は、サル化する人間社会と呼んでいるんです。でも、本当は自然にルールが立ち上がってくるのが遊びなんですよね。ルールをつくることによって、新たな気づきが生まれるわけで。お互いが違うからこそ面白いし、好奇心が生まれて創造性が育まれるんです。

そして、遊びが持っているもう一つの力は、“逸脱”です。みんなが同じ方向を向いているときは、遊びは起こらない。どんどんそこから逸脱していかないと、遊びはつまらなくなるんですよ。

中野 効率を求める現代の風潮と遊びは、相反すると言えますね。日本初の鉄道は新橋と横浜間に開通しましたが、はじめて特急ができて、より遠くまで早く行けるようになったときの逸話を思い出しました。特急券は料金が高いわけですが、乗客が「どうして早く終わっちゃうのに、普通乗車券よりも高いんだ」と文句を言ったそうです。

山極 ハハハ(笑)。

中野 今の効率を重視する社会だと、早く着くほうがいいと思いがちですが、列車に乗るのが楽しければ長いほうがいいですよね。

山極 時間を節約することがいいことのようになってしまったけれど、でも実際は失うもののほうが多かったですよね。

社交は情報ではなくリズム

山極が感銘を受け、幾度も読み返してきたという山崎正和著『社交する人間──ホモ・ソシアビリス』(中央公論新社)。

山極 それに、社会関係というのは時間の関数だから、時間を掛ければ掛けるほど親しくなれるんですよ。中野さんにぜひ読んでほしい本があるんです。一昨年に惜しくも亡くなられた山崎正和さんの『社交する人間──ホモ・ソシアビリス』。これを読むとわかるのは、情報社会は契約社会と言えるけど、私たちがつくってきたのは、信用社会だということです。情報では信用社会はつくれないんですよ。

中野 素晴らしい考察ですね。

山極 信用できる人からしか信頼できる情報は得られない。逆に情報によって信用できる人をつくれるかと言ったら、できないでしょう。

中野 できないですね。

山極 信用社会は社交からしかつくれないんですよ。

中野 以前、サイコパスについて興味を持ったことがあり、なぜかというと、人の信頼をハックして心の隙間につけ込むという行動が、社会と個人の関係を考えるうえで、適したサンプルになるのではないかと考えたからなんです。サイコパスは、時間をかけずに急速に信頼を結ぼうとする傾向があるんですね。いかにも信頼できそうな人の顔を上手に擬態したりする。でも、いつも機嫌がよさそうなのに、時々こわい顔をしているといった特徴がある。そして、3年くらいすると、周囲の人からヤバい人だと気づかれて、そこにいられなくなるのですが、また次のコミュニティに移って同じことをする。つまり、サイコパスは信頼ではなくて、情報で関係を築こうとする人たちと言ってもいいのかもしれない。

山極 僕が『社交する人間〜』で特に感銘を受けたのは、社交はリズムであるという考察です。言葉や情報ではない、身体の共鳴であり、リズムなんです。それは昔から動物と人間がやってきたことであって、人間は言葉を編み出す前に、身体の共鳴、リズムの社交をつくったんですよね。しかも、社交は文化そのものであるという。それが、人間社会をつくる大きな原動力になった。つまり、遊びでつくったんですよ。

中野 すごい!

山極 スポーツもリズムですよね。ダンスももともとは身体でリズムを取るのが原点です。実はお茶などの作法やマナーにも音楽的なリズムが表れている。会話もリズムで、相槌を打つという行為はとても重要です。言葉ではなく、身体性をもって反応を示す。口先で頷いても身体がともなっていなかったら、しっくりこないですよね。

中野 よく“ウマが合う”という言い方をしますが、それって実は“間が合う”という意味なのかもしれないですね。伺いたいお話は尽きないので、またぜひお願いします。

対談を終えて。2人の印象に残ったフレーズは?

Profile
中野信子

脳科学者、医学博士、東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了後、フランス原子力庁サクレー研究所で研究員として勤務。TV番組のコメンテーターとしても活躍中。著書は『「嫌いっ!」の運用』(小学館新書)、『なんで家族を続けるの?』(内田也哉子との共著、文春新書)など多数。

山極壽一
霊長類学者であり、ゴリラ研究の第一人者として知られる。京都大学理学部卒、同大学院で博士号取得。2020年までの6年間、京都大学総長を務めた。現在、総合地球環境学研究所所長。著書に『スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』(ポプラ新書)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)ほか多数。

Photo: Kohey Kanno (Nobuko Nakano) Text: Akiko Tomita Editor: Maki Hashida