「はみ出し者」が見出した猫の魅力
英ロンドンのブルジョワ家庭に生まれた動物専門のイラストレーター、ルイス・ウェイン(ベネディクト・カンバーバッチ)は、当時実用化が始まっていた「電気」に対して一風変わった関心を寄せていた。彼はこれを何か霊的な、神秘的な力のように考えていて、画期的な用途を見出そうと日々思索にふけっていたのである。
ほかにもルイスの関心の的は数知れず。天才的な絵の才能を持ちながら、音楽家や発明家になる夢も捨てきれない。とても実務能力があるとは言えない浮世離れした人物だが、現実は容赦なく追いかけてくる。父が亡くなり、未婚の妹5人と母親の生活を支えなければならなくなったのだ。おまけに、まだ幼い妹3人のために住みこみの家庭教師を雇うと言われ、いよいよ家計は逼迫する。
以前から懇意にしてくれていたサー・ウィリアム(トビー・ジョーンズ)が助け舟を出してくれた。彼のおかげでルイスは新聞の専属イラストレーターの職を確保し、やがて、猫を擬人化してユーモラスに描いたイラストで大ブレイク。さらにまたルイスは、家庭教師としてやって来たエミリー(クレア・フォイ)と恋に落ちる。しかし階級違いのうえ、エミリーは彼より10歳年上。当時の英国では「高齢」とさえ見なされかねない年齢だった。
ルイスの家族の大反対を押し切って結婚したふたりは、猫のピーターとともに幸せに暮らす。しかしその幸福はつかの間だった。エミリーは末期ガンにおかされていたのだ──。
当時大人気を博し、いまも根強いファンのいるイラストレーター、ルイス・ウィリアム・ウェイン(1860-1939)の伝記映画である。ペットといえば犬が普通であった時代、むしろ縁起が悪い動物だった猫のネガティブなイメージを、ウェインのイラストは一新したという。外見にコンプレックスを抱え、社会になじめずにいた「はみ出し者」のウェインだからこそ、他の人々が気づかなかった猫の魅力を見出し、表現することができたのだとこの映画は示唆する。
ルイス・ウェインの変人ぶりは、ご存知『SHERLOCK』でのベネディクト・カンバーバッチの当たり役に通じるものがあるが、もちろんホームズとウェインはだいぶ違う。社会に対して気後れを感じ、繰り返し押し寄せる深刻な不安に悩まされていながら、社会に迎合しない(できない)ゆえの(無意識の)大胆さをも合わせ持つウェインを、カンバーバッチは表情や台詞回し、癖のある歩き方など駆使して体現し、この俳優はどれだけ表現の幅が広いのかと今回もまた感嘆させられる。
ルイスとエミリーの日々の穏やかさ、ふたりの永遠の別れを描くシーンのつつましさが心に残る。しかしルイスの人生はここからのほうが長いのだ。彼と妹たちが経験する長い年月を、映画は節度をもって語っていく。タイカ・ワイティティとニック・ケイヴ、リチャード・アイオアディ(監督作に『サブマリン』〔2011〕、『嗤う分身』〔2013〕がある)がそれぞれちらりと出演しているのも面白く、ナレーションはここ数年大活躍のオリヴィア・コールマン。
悲惨な経験も多かったルイス・ウェインだけれど、この映画で描かれる彼の生涯は、理解者に恵まれた生涯でもあったように筆者は思う。エミリーが理解者であったのは言うまでもないが、要所要所で経済的にも精神的にもサポートしてくれるサー・ウィリアム(この人ももちろん実在の人物で、ちゃんと名前を書くと、イラストレイテッド・ロンドン・ニューズの取締役だったサー・ウィリアム・ジェイムズ・イングラム〔1847-1924〕)だって、ウェインの仕事の価値をちゃんとわかってくれている。そして終盤、とある施設で、とある人物が老いたルイス・ウェインにかける言葉には、表現活動・創作活動に関わる人であれば、全員ぐっと来てしまうのではあるまいか。
12月1日(木)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
©2021 STUDIOCANAL SAS - CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION
公式ホームページ:https://louis-wain.jp/
篠儀直子(しのぎ なおこ)
PROFILE
翻訳者。映画批評も手がける。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(DU BOOKS)『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)など。