スーパーモデルのタチアナ・パティッツが死去した。56歳だった。遺族の代理人は、死因は転移性乳がんであったと述べている。
ドイツのハンブルグでエストニア人の母とドイツ人の父の間に生まれたパティッツは幼い頃、家族とともにスウェーデン南部ののどかな海辺の町、スカノールに移り住んだ。1983年、17歳だった彼女はストックホルムで開催されたモデルエージェンシー「エリート」主催のコンテストに参加し、スウェーデンで3位に入賞。賞品はパリへの旅行と期間限定契約だったが、1年間仕事を見つけられなかったという。
その後、パティッツはドイツ人写真家、ピーター・リンドバーグとの出会った。レタッチなしの画像と「自然な」美しさを好んだリンドバーグは、1988年の「White Shirts: Six Supermodels, Malibu」や1990年1月の英国版『VOGUE』表紙にパティッツを起用。英国版『VOGUE』の表紙を見たジョージ・マイケルは、パティッツらを彼の「フリーダム'90」のミュージックビデオに出演させた。
スーパーモデルブームを作った1人でありながら、パティッツは群れることを好まなかった。ニューヨークやパリではなく、自然や動物に近いカリフォルニアに住まいを構えたことも一因だろう。パティッツの美しさには謎めいたところがある。コンデナスト社のチーフ・コンテンツ・オフィサーであり、『ヴォーグ』のグローバル・エディトリアル・ディレクターであるアナ・ウィンターは、「タチアナはロミー・シュナイダーとモニカ・ヴィッティを合わせたような、ヨーロピアン・シックの象徴でした」と振り返る。「他のスーパーモデルたちに比べて目立たず、より神秘的で、大人で、手の届きにくいイメージでした。それが彼女の魅力だったのです」
パティッツには、女性らしく知的な佇まいがあった。俳優としての訓練を受けた彼女の存在感は唯一無二だった。彼女は1988年の『VOGUE』誌のインタビュー「Tatjana: Million Dollar Beauty」でこう語っている。「皆、私は誰にも似ていなくて特別だ、と言いました。だから、きっと成功するだろう、と」
Text: Laird Borrelli-Persson Adaptation: Mamiko Nakano
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