「男性は、変化にメリットがありそうな場合、ジェンダーの問題に参加する」とある。まったくだ。「女性が輝く社会に」なんて男性の政治家が提案していた時、議論は早速、メリットの話に移行していた。 異性装者(トランスヴェスタイト)が記す、社会にこびりつく「男らしさ」の問題点とその剥がし方。自分たちのために心地良い環境が整っている男たちは、どうすれば変われるのか。そんなの、自分で考えて動けよ、ってことなんだけど、言われないと動けない、言われても動けないところに「男らしさ」の 病理がある。それを直視できる本。
「包茎」がいかに語られてきたかを膨大な資料・分析によって明らかにする1冊。特に雑誌文化が強かった1980年代、「包茎=恥」を強調する記事や広告が多数掲載された。その多くでは、「あれダメ。見たくない。気持ち悪い」などといった女性の声を掲載し、コンプレックスとして植えつけていたが、その意見の多くは男性が用意したフィクションにすぎなかった。恥ずかしがらせて、それを商売に変えてきた。女性の声を勝手に作り上げる手口、今の時代にもそこかしこに存在していないか。
東京五輪は実に「マッチョ」な大会になった。冷静に判断することのできない人たちが「やるといったらやる」と強引に押し切ってしまった。元ラグビー日本代表でもある著者は、東京五輪開催にしぶとく反対していたが、それは本書で示されている「筋トレ主義」とも関係している。「勝利、カネ、ランキング上位」といったわかりやすい目的を掲げ、そこに突進していくやり方は、何より選手の身体を壊す。そして、教育現場にも派生する。商業主義・競争主義から離れて、自分ならではの身体・思考を獲得する必要がある。
このところ、「あっ、今はもう、こんなこと言っちゃいけないんだよね。気をつけなきゃ〜」とヘラヘラしている様子を頻繁に見かける。そうしていられることこそがマジョリティの特権なのだが、あたかも自分たちの言動が制限されているかのように受け止め、不自由になってきたと訴える。公正とは何なのか、いかなる状態なのか、実現は可能なのか、三者の主張が重なり合っていく本書を読んでほしい。容易に結論を導き出せない現状から解決の糸口を見つけ出すために、まず、浅はかな「気をつけなきゃ〜」を消すべき。
人の性のあり方を同意なく第三者に暴露する「アウティング」。2015年、一橋大学のロースクールに通う25歳のAさんが、アウティングを受けたことを苦に自殺した。この暴露の深刻さはまだまだ理解されておらず、それくらい問題ないのでは、などと軽視されてきた。とりわけ男同士の関係性の中では、ぶっちゃける行為、秘密を開けっ広げにする行為が、関係を前に進める・深める行為として積極的に受け止められてきた。その加害性を直視する必要がある。命を奪いかねない問題なのだ。
ライター
1982年生まれ、東京都出身。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。近年ではラジオパーソナリティーも務める。『紋切型社会』(朝日出版社、のちに新潮文庫)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著書に『日本の気配』(晶文社、のちにちくま文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社)など。7月に新刊『べつに怒ってない』(筑摩書房)を上梓。
書籍写真・長尾大吾