一致団結すると日本は負ける

サッカー日本代表が、W杯予選で苦戦し、 テレビの視聴率も低迷しているという。 原因はなにか? 小田嶋隆が抉り出す。

「2022年カタール・ワールドカップ」アジア最終予選第4戦、日本代表は埼玉スタジアムでオー ストラリアと対戦。2-1で勝利した。

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サッカーの日本代表チームが苦戦している。W杯出場の最終予選を突破できるのかどうかがあやしくなってきている。この段階で足踏みする代表を見ねばならなかったのは、実に四半世紀ぶりのことだ。

チーム力は着実に向上している。W杯に初出場した時代のチームと比べると、 選手のプレーの質といい戦術的な練度といい、格段の差だ。サッカーのレベルは間違いなく上がっている。にもかかわらず、予選突破が危ぶまれている原因は、基本的には同じアジア地区で戦うライバルチームの実力が上昇しているからなのだが、それ以上にわれら日本人が「外部」を見失っているからだと思う。

私は、わかってもらいにくい話をはじめてしまっている。日本から外部が失われているというのは、どういうことだろうか。

思うに、東日本大震災を経て、第2次安倍政権をいただいたわがニッポンは、知らず知らずのうちに団結しはじめている。理由は、景気の低迷もさることながら、政治的にも社会的にも日本人が一丸となって危機に対処しないとならない状況が続いていたからでもある。

さらに言えば東京五輪の開催にまつわるドサクサや日本会議周辺の政治家たちが掲げるイデオロギーが、国民の間に強固な団結を促していたことも無視できない。

では 、 どうしてニッポンが団結すると、サッカーが低迷するのだろうか。サッカーは、個が個であることを何よりも大切にするチームスポーツだ。チームのメンバーが同じ方向を向いて同じ戦術を志向していると、不思議なことにチームは硬直し、戦術は停滞する。つまりストライカーがストライカーのエゴを体現し、サイドバックがサイドバックの個人戦術に固執していないと、チームは機能しないのである。

「2002年日韓・ワールドカップ」第2戦、日本代表はロシアに 1-0で勝利。日本代表のW杯初勝利にフィリップ・ トルシエ監督は歓喜!

2002 AP

この20年ほど、日本のサッカーが向上し続けていたのは、選手個々人の技術の向上もあるが、それ以上に代表チームのなかに「外部」が存在していたからだ。どういうことなのかというと外国人監督が指揮していた期間、 日本のサッカーは世界を意識することができていたのである。私は、戦術の洗練度や監 督個人の人格的包容力の話をしているのではない。監督が外国人であるのかどうかがいかに大切であるのかということ を先程来私は訴えている 。 極端な話をすれば、外国人でさえあれば、青山あたりのワインバーのソムリエであってもかまわない。というのも、代表監督が外国人である時 、日本人選 手は自分のアタマで個々人のプレー を選択せねばならないし、スポーツ新聞をはじめとするサッカーメディアは、代表チームの欠点やトラブルについて遠慮のない批評を繰り広げるからだ。この状況が選手たちを自立させ、監督を奮い立たせ、戦術を研ぎ澄ますのである。人格円満な日本人の監督がトップに座っている状況下で は、選手がお互いの傷を舐め合い、右顧左眄しながらボール回しを繰り返し、 監督のためにサッカーを展開するおよそサラリーマン的なニッポン社会がチームを支配してしまう。メディアも同様だ。勝っても負けてもいずれサッカー協会の重鎮になることが わかりきっている日本人監督には失礼な指摘ができない。じっさい、森保一監督に対して、記者たちがトルシエやハリルホジッチに対して投げつけていたような苛烈な言葉を使ったことは一度もない。みんな仲良しで、一丸となって、ひとつのチームになってしまっている。

私は、日本人が一丸となった時に必ずや生じるネガティブな結果を心配している。より正確に言えば、われわれは「敗北」を意識した時にはじめて一丸となる心性の持ち主なのであって、つまり、一致団結したニッポンの男たちは、必ずや「玉砕」するのである。

代表チームの選手たちはもっと自分勝手に振る舞わなければならない。そのためには、メディアの顔色をうかがったり選手の立場を慮ったりする日本人の監督を排除して、空気を読まない、わからんちんな外国人を招聘するべきだろう。

トルシエがもう一度来てくれないかなあ。

PROFILE\


小田嶋隆(おだじま・たかし) 1956年生まれ、東京都出身。早稲田大学教育学部を卒業後、食品メー カーに入社。退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなる。現在はコラムニストとして活躍中。近著に『ア・ピース・オブ・警句』(日経BP)などがある。