映画『ベイビー・ブローカー』是枝裕和監督インタビュー【前編】「この物語がいったいどこに進むのか。結末を決めないまま、撮影をスタートしました」

第75回カンヌ国際映画祭2冠! 『パラサイト』のソン・ガンホをはじめ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、イ・ジウン、イ・ジュヨンと、韓国の錚々たる俳優たちが豪華共演する傑作が、6月24日(金)に公開される。是枝監督に話を訊いた。その前編。
『ベイビー・ブローカー』是枝裕和監督インタビュー
SASU TEI

撮影現場で生まれた感情を活かす

もともとテレビのドキュメンタリー番組を手がけていたということもあり、是枝裕和の映画は、「ドキュメンタリー的」だとか、「ドキュメンタリー風」だといわれてきた。だが、最新作の『ベイビー・ブローカー』は、“的”とか“風”を超え、ドキュメンタリー映画そのもののような迫力とリアリティを持った映画だ。

『ベイビー・ブローカー』より。左から、俳優のカン・ドンウォン、イ・ジウン、ソン・ガンホ

「赤ちゃんポスト」に置きざりにされた赤ん坊と、その母。その赤ん坊を子どもを欲しがっている親に闇で売ろうとするブローカーと、そのブローカーを追う刑事の物語。ひとりの赤ん坊は、生命そのものだったり、邪魔な存在だったり、大金を払ってでも欲しいものだったり、あるいは金そのものだったり、犯罪の証拠だったりと、見る者によってその意味が変わる。

それは、観客にとっても同じだ。「この子は生まれてくるべきだったのか」、「この子は誰とどんな人生を歩むべきなのか」など、映画から発せられる数々の問いに向き合っていくうちに、物語へと引き込まれていく。是枝裕和監督は、この映画をつくるにあたって、かなり綿密に事前取材を行ったという。

是枝裕和監督

「日本でも赤ちゃんポストをめぐる議論はありますが、韓国だと、また社会常識や状況が異なります。映画を作るための前取材はいつもやりますが、今回は日本とは違うということもあり、特に時間をかけ、念入りに行いました。実際に母親と赤ちゃんを保護しているシェルターを見学してインタビューを行い、児童養護施設の出身者、あるいは施設から赤ちゃんを養子として引き取ったご夫婦や、赤ちゃんブローカーの事件を捜査した刑事、養子縁組法改正に関わった弁護士など、とにかくいろんな角度の方から話を聞きました。

これは日本も同じだと思いますが、赤ちゃんポストに赤ん坊を置いていく母親に対して、多くの人が『捨てるくらいなら産まなきゃいいのに』と考えるでしょう。この映画では、その母親に対するネガティブな感情にどのくらい揺さぶりをかけられるかということを、まず考えていました」

『ベイビー・ブローカー』より

監督の狙いは間違いなく成功している。この映画は、簡単には感情移入させてくれないし、ひとつのシーン、ひとつのセリフごとに観ている側の感情も揺さぶられる。じつは、監督自身も「この赤ちゃんはどうしたら幸せになれるんだろう」ということを考え、着地点を決めないまま撮影に臨んでいたのだという。

「ある程度の物語の骨子は決めていましたが、最後をどうするか、どこに着地するかは、決めないまま撮影をスタートしました。今回はロードムービーということもあり、物語の順番通りに撮影をしていったのですが、物語が進むたびに僕も、そして登場人物たちも、いろいろ考え始めるわけです。そのたびに、やっぱりこうしよう、いやこうじゃないと、キャストたちとも相談しながら脚本を練り直して。特にソン・ガンホとは、この男が最後どうなるのかということは、何度も話し合いました。結局、撮影が3分の2ほど終わったくらいのタイミングで、ようやく脚本が固まったんです」

フィクションの物語でありながら、ドキュメンタリーのようなリアリティを感じさせるのは、机上ではなく、撮影現場で生まれた感情がそのまま活かされているからなのだろう。もちろんそのリアリティを体現している俳優陣の演技力も凄まじい。

ブローカー役としてカンヌ映画祭で男優賞を獲得したソン・ガンホ、その相棒で児童養護施設出身者を演じたカン・ドンウォン、子どもを置き去りにする母親役のイ・ジウン、そしてブローカーを追う刑事を演じたペ・ドゥナとイ・ジュヨン。是枝監督にとって初となる韓国映画には、韓国映画界のオールスターというべき俳優たちが参加。だが、今作には韓国映画でよく見る彼らの姿はない。大声で叫ぶこともなければ、号泣もしない。韓国映画のような直接的、爆発的な感情の表現はなく、是枝的ともいうべき抑えた演技で観る者を物語へと引き込んでいく。

『空気人形』でもタッグを組んだペ・ドゥナ

「俳優たち、特にペ・ドゥナなんかは、むしろそういう抑えた演技をしてみたかったんじゃないでしょうか。僕も彼らならできるだろうと思っていましたけど、みんなが揃ったときのアンサンブルは、想像以上。こちらの気持ちが振り回されるような感覚になりました」

そんな名優たちのアンサンブルをさらに引き立てているのが、物語の真ん中に存在する赤ちゃんの“演技”だ。ふとした目の動き、小さな手の仕草、泣くべきときに泣き、笑うべきときに笑う。子役の演出に定評のある是枝監督だが、赤ちゃんにはどうやって演出したのだろうか?

SASU TEI

「あれは、奇跡です(笑)。あそこまで完璧に演じてくれて、本当に驚いています。オーディションで何人かの赤ちゃんを見たのですが、そのなかでいちばん音に反応のいい子を選んだんです。そうしたら本当に奇跡的な演技を次々とやってくれた。じつは、そこまでできると思っていなかったので、精巧な人形を用意していたんです。けっこう高いお金を払って作ったんですが、まったく出番がなかった(笑)。ソン・ガンホなんかは、おむつを替えながら、赤ちゃんの動きにあわせてきっちり演技するんですよ。ああいうところはさすがだなと思いました」

韓国を舞台に、韓国語で綴られる物語。まぎれもなく韓国映画なのだが、同時にまぎれもなく是枝映画でもある。『ベイビー・ブローカー』は、国籍や言語に関係なく、かつて子どもだったすべての人間に、その生まれてきた意味を問いかけてくる。登場人物の誰かに自分を重ね合わせて感情移入することは難しい。この映画は、自分自身のありのままの感情で“参加”する映画だと思う。

【後編へつづく】

『ベイビー・ブローカー』

6月24日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
© 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED 
配給:ギャガ
公式ホームページ:https://gaga.ne.jp/babybroker/

是枝裕和(これえだ ひろかず)
PROFILE
1962年6月6日、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。2014年に独立し、制作者集団「分福」を立ち上げる。1995年、『幻の光』で監督デビューし、ヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。2004年の『誰も知らない』では、主演を務めた柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。その他、『ワンダフルライフ』(98)、『花よりもなほ』(06)、『歩いても 歩いても』(08)、『空気人形』(09)、『奇跡』(11)などを手掛ける。
2013年、『そして父になる』で第66回カンヌ国際映画祭審査員賞を始め、国内外で多数の賞を受賞。2018年、『万引き家族』が、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞し、第91回アカデミー賞®外国語映画賞にノミネートされ、第44回セザール賞外国映画賞を獲得。第42回日本アカデミー賞では最優秀賞を最多8部門受賞する。
2019年公開の、カトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュイーサン・ホークらを迎えた初の国際共同製作作品『真実』は、日本人監督として初めてヴェネチア国際映画祭コンペティション部門オープニング作品に選定された。

取材と文・川上康介、写真・SASU TEI


是枝裕和監督最新作『ベイビー・ブローカー』をもっと面白く観るための是枝映画3選
6月24日(金)に、カンヌ国際映画祭で2冠を獲得した是枝裕和監督の映画『ベイビー・ブローカー』が公開される。観る前でも観た後でも、是枝監督の歩みをもっとよく知ることができる3作品を、篠儀直子がセレクトした。