CELEBRITY / VOICE

ロード──ポップ界のアウトサイダーの復活までの道のり。

ロードの最新作『ソーラー・パワー』は自然界への賛美であり、現代のネット社会がはらむ危うさに対する考察でもある。16歳の若さでスターの地位を手に入れた彼女が、3作目のアルバムでたどり着いた新境地とは。

シンガーソングライターのロード、本名エラ・マリヤ・ラニ・イェリッチ = オコナーとのインタビューは、私の自宅で行われることになった。彼女は何とか建物のゲートを突破し、階段を降りて家の玄関に姿を現した。ひじの内側にはいちじくのタルトを抱え、その先の腕には作りかけのフリッタータ(イタリア風オープンオムレツ)を絶妙なバランスでのせている。家に入ると、昔からの友人を思わせる勝手を知った様子で(実は今日が初対面なのだが)、まっすぐにキッチンに向かい、タルトをテーブルに置き、半熟状態のフリッタータをオーブンに入れる。彼女の表現を借りるなら、このときはちょうど「山あり谷ありの季節」が始まる週だった。ロードにとっては、アルバム作りの楽しい日々が終わりを告げ、怒涛のプロモーションが始まる時期だ。今回、取材を前に新型コロナウイルスのワクチンを接種するために、彼女はロサンゼルスにやってきた(ちなみに受けたのはファイザー製だ)。ここは彼女が2014年に栄光をつかんだグラミー賞授賞式の開催地であり、それ以来、良くも悪くも彼女を戸惑わせている街でもある。気前のいい友人がロサンゼルス西部のパリセーズにある家を貸してくれたというが、慣れないオーブンで料理するのは難しいものだ。私は彼女に、せっかく持ってきてくれた手作りの料理の出来について、あれこれ言うつもりはないと伝えた。だが、誰よりも自分が出来を気にしているのだと、彼女は言う。

「誰だって、自分が作った料理を謙遜する必要なんてない」とロードは言う。センターパートでおろした髪をかっちりとした2本の三つ編みにまとめ、深いアーチを描くアイブロウの下に光るアイスブルーの瞳は、柔和ではあるが絶えず動き回り、こちらの様子をうかがっている。さて、彼女が持ち込んだフリッタータはというと、冷蔵庫の在庫一掃メニューとして知られるこの料理にふさわしく、リーキ、パプリカ、ズッキーニ、マッシュルーム、ケール、トマトなど、野菜室に残されていたあらゆる食材が投入されている。いちじく入りのタルトも、ありあわせのもので作ったようだ。「正直に言うと、本当に大失敗してしまって。いくつかレシピを読んで、(借りている)家にあるもので適当に作ってみたのだけど。このランチはワイルドなプロセスの産物ね」 

ロードが自作の料理を評したこの言葉は、彼女のサードアルバム『ソーラー・パワー』にもそっくり当てはまる。このアルバムは、母国ニュージーランドの自然に抱かれて過ごした、ワイルドな日々から生まれたものだ。この間、彼女は草や風、水に触れる日々を送り、視線を落としてスマホを見つめるよりも、太陽を見上げることのほうが多かった。このアルバムは自然の賛歌であり、常にネットにつながっている、現代のライフスタイルがはらむ危うさに対する考察だ。さらに、これまでの作品と同様、人目に触れずに過ごしたこれまでの年月、彼女がどう生きていたかを伝えるものでもある。会話の中で、ロードが「ポップスターとしての自分」について話す機会は、意外なほど多かった。あえてそうすることで、降って湧いた名声に感じている居心地の悪さと折り合いをつけているかのようだ。デビューシングル「ロイヤルズ」で、いまどきのセレブカルチャーを批判するその歌詞の内容とは裏腹に、16歳の若さでスターの地位を手に入れて以来、ロードは謙虚に、だがきっぱりと意思を貫いて人目を避け、セレブの地位に溺れることはなかった。

4年ぶりの新作は自然への賛歌。

「自分の役割を見事にこなしているとは思うけれど、自分がこの役割にふさわしい人間かどうかは、自信がない」と彼女は自己分析する。「私はとても敏感なタイプ。ポップスターとしての生活には向いていない。多くの人と対面する存在でいることに、本当にストレスを感じるし、こういうことには向いていない。そういう生まれついてのカリスマ的なものを私は持ち合わせていない。脳だけが瓶に入っているような、世の中と隔絶されたタイプだから」。そう言うと彼女は、オーブンに入れたフリッタータが焼けるのを待ちながら、飾りに使う山盛りのハーブを刻んだ。これは憧れの料理研究家、ヨタム・オットレンギのレシピにならったものだ。

「でも、どんな理由であれ、『わかった、じゃあ表に出て、義務を果たそう』と納得できれば、写真撮影やレッドカーペット、ジャーナリストとのインタビューから、楽曲をリリースするところまで全部やる。そして、完全に燃え尽きるまで務めを果たして、(ロードを見たいという人々の)渇きを満たしたなら、家に戻り、その後2、3、4年くらい姿を隠す。『別のこと』をするの。誕生日を祝い、ディナーパーティーをし、毎日の食事を作り、散歩に行き、お風呂に入り──そういうことひとつひとつを満喫する。それをひと通り終えると、『うん、今のところは十分かな』と満足して、また表舞台に出て行くわけ」

ロードのファーストアルバム『ピュア・ヒロイン』は、郊外に渦巻く不満と10代の鬱屈を綴った作品だった。そこから立ち現れてくるのは、賑やかなパーティーでひとり会場の隅にたたずむ少女、「ここよりもっと広い世界」に思いをめぐらせながら、月の光に照らされた人気のないゴルフコースを抜け、歩いて家に帰る少女の姿だ。豊かなハーモニーとストイックなエレクトロニカ・サウンドで表現された、アバンギャルドながら一般受けする楽曲の数々は、思春期の少年少女だけでなく、満たされない思いを抱く大人にも支持され、世界中のリスナーに愛された。続くセカンドアルバム『メロドラマ』は失恋の心の痛み、もつれる感情、孤独感をテーマに、夜の街に繰り出したティーンエイジャーの、一夜のうちにうつろいゆく心情を丁寧に描いた楽曲の集合体だった。しかし3作目となるニューアルバム『ソーラー・パワー』はがらりと趣を変え、過去2作で綴られた若き日のテーマは脇に追いやられている。これは今の時代にいかにして大人になるべきかという難問に対する、ロードなりの答えと言える。『ソーラー・パワー』は、気候変動で崩壊しつつある自然界、常に監視されているデジタルの世界、そして可能であれば吐く息でさえ商品化してしまいそうな消費社会など、今の世の中の問題を反映したアルバムだ。アコースティック・ギターを多用したソフトなサウンドには、ロードがこの数年間に聴いてきた音楽が濃厚に反映されている。それは、ジョニ・ミッチェルやクロスビー、スティルス&ナッシュ、ママス&パパスといったアーティストたちに代表される、60年代のフォークミュージックだ。実際、この時代特有のカウンターカルチャーの精神は、タンバリンの絶え間ないリズムのように、このアルバムを裏で支えるテーマとなっている。この11月に25歳になるロードによれば、これまで3枚のアルバムの違いは、それぞれの制作期間に自身が使っていた薬物の特性を反映しているという。『ピュア・ヒロイン』のときはアルコール、『メロドラマ』では通称エクスタシーと呼ばれるMDMA、そして『ソーラー・パワー』では大麻だ──だがこれは、ベッドルームでマリファナを一服するのではなく、夕暮れの断崖にたたずみながら大麻成分入りのグミをたしなむといったスタイルだ。

3枚目のアルバムで到達した新境地。

2018年、『メロドラマ』を引っさげたツアーを終えたロードは、母国のニュージーランドに戻った。彼女は疲れ果てていた。「2作目のジンクス」とはよく言われることだが、このセカンドアルバムに課せられたハードルはあまりに高かった。このアルバムで彼女は、ソングライター、プロデューサーとして著名なジャック・アントノフとタッグを組んだ。彼とは、グラミー賞授賞式後のパーティーで、缶入りのパイナップルジュースを手渡されたのが縁で知り合ったという。成功をつかんで間もない時期、ロードは落ち着かない生活を余儀なくされ、ニュージーランドのオークランドからロサンゼルスへ、さらにはニューヨークのブルックリン(アントノフは当時、交際していた女優のレナ・ダナムと暮らすこの地区のアパートメントに、レコーディング用のスペースを設けていた)へと拠点を移した。彼女にとっては、「ロイヤルズ」で皮肉を込めて描いたファンタジーの世界が現実になった時期だった。「カリフォルニアは……まるで高級SUVのキャデラック・エスカレードのよう。若くきれいな人たちが集まっては、テキーラをあおっている、みたいな。その後、地元のオークランドに戻って2週間過ごすけれど、その間にも家で盛大なパーティーを開いて大騒ぎする。恋愛も面倒なことになっていて、心を奪われたり、混乱したり。そして私は、そそくさと地元をあとにして、その体験を曲に書く。この繰り返しだった」

『メロドラマ』は高い評価を受け、2018年のグラミー賞では年間最優秀アルバム賞にノミネートされた(この年、賞を勝ち取ったのはブルーノ・マーズの『24K・マジック』だった)。その後、彼女は18歳のときオークランド郊外に購入した一戸建てに落ち着いた。ここではレトリバーのミックス犬を引き取り、パールと名づけた。家の庭の手入れをし、昔からの知り合いとの親交を深めた。夏になると仲間同士で崖の上に建つ大きな家を借りて海辺に出かけ、泳いだり魚釣りをしたり、さまざまな料理を作ったりして過ごした。めくるめく日々の中で、母国ニュージーランドは彼女に不思議な形で恵みを与えてくれたという。

SNSと距離を置く現代のアウトサイダー。

「『自分はセレブに向いていない』とエラは言うけれど、その意見には賛成と反対、両方の気持ちがある」と語るのは、親友のフォトグラファー、オフィーリア・ミケルソン・ジョーンズだ。昨年末、ロードとニュージーランドの海岸沿いを旅した際に彼女が撮影した写真は、『ソーラー・パワー』のカバーを飾っている。「彼女は引っ込み思案で控えめだけれど、驚くほどの知性の持ち主でもある。とても用心深く、常に好奇心に満ち、周囲を観察していて、あり得ないほどの記憶力を備えている。彼女ほどの人がこうした資質を持っていることに、私は感嘆してしまう。だからこそ、最高の友達でもあるわけだしね」

「年齢は2歳も離れていないはずだけど、彼女は私のお母さんみたいなもの」と語るのは、こちらもロードの友人でシンガーソングライターのクレイロだ。「遠くにいても『彼女がいるな』ってわかる。見られている感じがするから。同じように感じている若い子はたぶんとても多いと思う。どんな状況でも、『ロードなら私のことをわかってくれる』と、たくさんの人を安心させる力があると思う」

オークランドで暮らした数年の間に、10代のころには縁遠かった若さを実感することができたと、ロードは語る。「昔の私は、真面目すぎたし、引っ込み思案でかたくなだった。でも、セカンドアルバムを作り上げて、家に帰ったことで、リラックスして楽しめる気分になった」と彼女は当時の心境を振り返る。「自分でもよくわからないけれど……何かが起き始めていた。それはすべて、アウトドアで過ごす時間と関わっていたの」

今に至るまで、ロードはアウトドアを好むタイプだったことはない。人が足を踏み入れたことがない森の美しさや、そびえ立つ山の気高さに心を奪われたことはあるかもしれない。だがそんなときもスマホを手に、すぐに家に戻るのが常だった。しかし2018年に、彼女はソーシャルメディアの世界から完全に姿を消した。「このままネットに繋がっていたら、作品や自分にとってとても悪い影響があると気づいたから」と、彼女はその理由を説明する。「私が会った中で、ソーシャルメディアとの付き合いがトータルでプラスになっているという人はそう多くないように思う。脳内に変な化学物質が生じて、ポジティブさとは無縁の、変な神経回路も生まれてしまう。別に誰かを批判するつもりもないし、(ソーシャルメディアとの)付き合いを断つことができるのは、社会的にも経済的にも、特別な人だけだというのもよくわかっている。でも、社会をダメにしているものについては、率直に語るべきだと思うから」

自分の意志の力をそれほど信頼していないロードは、プログラマーの友人に、自分が使っているデジタルデバイスで特定のサイトを使えなくするプログラムの制作を依頼した。「だから、こっそり裏アカで活動しているとか、そういうこともない。完全に縁を切っている」と彼女は断言する。だがその結果、話題のネットミームや流行りのジョーク、最新のバズワードにも疎くなってしまった。「私は世の中の最新情報に通じていることが売りのひとつだったから、そこから身を引くのは、大きな哲学的決断だった。でもだんだん、スマホを別世界への入り口として見られるようになってきた。いつもここを行き来するわけにいかない、っていう。それは四六時中マッシュルームをキメるわけにいかないのと同じ。あまりに深いトンネルだから」

母国ニュージーランドで高まった自然回帰。

『ソーラー・パワー』で、ロードはセカンドアルバムに続き、ジャック・アントノフとタッグを組んだ。テイラー・スウィフトラナ・デル・レイ、セイント・ヴィンセントといったアーティストと共作し、プロデュースをした実績を持つ彼とは、今後も音楽を作り続けるつもりだという。「ジャックは話をしっかりと聞いてくれる。彼自身もセラピーを受けた経験があるから、深く突っ込んだ内容の曲を書きたいと思うアーティストの話し相手としては本当にぴったり。これからも長い付き合いになると思うし、彼もそう思っているはず。人生で最高の関係のひとつになる、そんな予感が私たちにはある」。もし『ソーラー・パワー』の原典になる作品があるとしたら、それはオークランド在住のアーティストで作家のジェニー・オデルが2019年に発表した著書『何もしない』(早川書房)だ。これは生産的であることの意味を改めて見直しつつ、自然界への関心を取り戻すことの価値を訴える内容だ。

ロードはさまざまな思想に関する本をむさぼり読み、自らの指針とした。特に1960年代後半のドロップアウト・ムーヴメントに関する本を幅広く読み、この時代のユートピア的な理想主義、政府への幻滅、公民権や環境問題への関わり、そして同世代を奮い立たせる情熱に、今の時代との共通点を感じ、深く感銘を受けたという。『ソーラー・パワー』からのファーストシングルとなったタイトル曲のミュージックビデオを見た人は、ここに1971年のコカ・コーラのテレビCMに似た、フラワーパワー的なヴァイブを感じたはずだ。このビデオの中で、ロードは真夏に浮かれ騒ぐ人々を統べる女王として君臨し、ビーチで踊り、フェンネルの根でできたパイプをふかす。このビデオで自身が演じたキャラクターが、ヒッピーから崇拝されるカルトの教祖のように見えることは、ロードも十分承知している。「確かに『ワイルド・ワイルド・カントリー』(インド人のグルがオレゴン州にカルト集団のコミューンをつくる様子を追ったNetflixのドキュメンタリー)みたいになってる」と、彼女は笑いながら語る。「ちょっとそういう感じがするかな? 私はカルトじゃなく、コミュニティと呼んでいるけれど」

自由を与えてくれた両親と子ども時代。

最初のインタビューから数週間後、ロードと私はニューヨークにいた。2度目のインタビューを前に、彼女からはミッドタウンのマレーヒル地区にあるスパイスショップ、カルスティアンズに行きたいとの提案があった。幅広いエスニック食材の品揃えで知られるこの店は、好奇心旺盛なマンハッタンの料理愛好家や、カクテルに風味を添える、最高にレアなデコレーション素材を探しているレストランのバーテンダーの行きつけのショップだ。自らの意志でメディアとは縁を切ったものの、ロードのiPhoneには2つだけ、ニュースアプリが入っている。それは「ニューヨーク・タイムズ」紙と、『ニューヨーカー』誌のアプリだ。カルスティアンズのことを知ったのも、「ニューヨーク・タイムズ」のフード欄に載っていた記事がきっかけだったという。この店で待ち合わせた私たちは、その豊富な品揃えに驚きながら、ゆっくりと店の棚を見て回った。カルダモンの香りつきキャンディやオレンジブロッサム風味のアイスクリーム、シャルドネが入っていたオークの樽材でスモークされた塩、スイレンの種のポップコーン風スナック、そして袋に入った鮮やかな紫色の乾燥ワスレナグサなどが目を引いた。

ロードは同じく料理好きの買い物客に、黒ごまのタヒニの長所と短所について「見た目が悪くなることもあるけれど、料理を最高に引き立ててくれる食材」と熱く語る。そして自分用に、燻製ムール貝の缶詰1つ、殻なしのシチリア産ピスタチオ1袋、そしてウズベキスタン産の種ありドライアプリコットをひとつかみ購入した。

ロードにとって食事は、家族と過ごした子ども時代から、大きな意味を持つものだった。彼女はオークランド郊外の中流階級が暮らす閑静な地区、ノースショアで生まれ育った。母親はクロアチアからの移民の娘で詩人のソーニャ・イェリッチ、父親は土木技師のヴィック・オコナーで、ロードは4人きょうだいの2人目として生まれた。家には本や新聞がところ狭しと広げられ、毎晩の食卓には家族全員がそろい、活発な議論が繰り広げられた。ロードが回想する子ども時代は、厳しさと自由、両方の要素に満ちている。裏庭のマグノリアの木に登り、幹に座っては、ロープをつないだバスケットを使って本やおやつを引き上げていたという。「私は子どものころから、母親の考え方をはっきり知っていた。『あなたたちは自分で遊んで。お母さんはお母さんで別にやることがあるから』っていう人だったから」と、彼女は振り返る。「一緒になってシルバニアファミリーで遊んでくれることはなかった。でも今になって思うと、私たちにあれほどの自由を与えてくれたのは、本当に素晴らしいことだったんだって感心する」

両親がロードに与えた環境は、学術的とまでは言えないとしても、非常に知的水準の高いものだった。以前にも彼女は、12歳までに読んだ本だけで1000冊以上にのぼるはずだと語っていた。さらに14歳のときには、4万ワードにものぼる母親の修士論文の編集を担当したという。「言葉が本当に重んじられていた」と彼女は当時の家庭環境を振り返る。「ほかの家とは方針が違うというのを、当時は私もわかっていなかったと思う。宗教のようなものね」。自身を生まれついてのパフォーマーだと感じたことは一度もなく、子どものころは演技を披露することもなかったが、演劇の授業や人前でのスピーチで口にした言葉が生き生きと躍動することに、次第に楽しさを覚えるようになったという。その後、彼女は学校でミュージカルの舞台に出演する一方で、クラスメートとコンビを組んで歌を披露するようになった。12歳の時、彼女の歌のバックでギターを演奏していた男子生徒の父親が、2人のパフォーマンスを録音した素材をアーティストの発掘を担当するレコード会社の幹部に送った。その幹部は、ギターを弾く少年には目もくれず、歌を歌っていたエラとただちに契約を結んだ。

ソングライターとしての矜持とこだわり。

こうして契約を交わしたユニバーサル ミュージック・ニュージーランドの上層部はその後、「ロード」と名乗ることを決めたこの少女、エラが、すべての歌詞を自分で書くつもりであることを知る。ちょうどこの時期、彼女はショートストーリー、特に短編小説の名手として知られたレイモンド・カーヴァーの魅力のとりこになっていて、これがソングライターとしてのスタイル形成に大きな影響を与えた。「カーヴァーは私にとって、とてつもなく大きな存在。彼の言い回しはわかりやすく、使われている単語も基本的なものばかり。そこには、極限まで余計なものをそぎ落とした美がある」と、彼女はカーヴァーの魅力を語る。「日常生活での会話そのままに、(小説の中の)人物が私に話しかけてきているのがわかった。それが怖いとも思わなかった。この体験が、自分がポピュラー・カルチャーの作り手側の人間だと自覚するきっかけだったように思う」。音楽の世界では、彼女はリスナーとして、複雑で意欲的な作風を貫きながらヒットを飛ばすアーティストに触発されていった。ジャスティン・ティンバーレイクの『フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ』やフランク・オーシャンの『チャンネル・オレンジ』といったアルバムを聴いて、想像力は膨らむ一方だった。「センスを感じさせる、本当にシンプルなものに、その人の力量がよりはっきりと表れると思う。そういうものを作るほうが難しいのがわかるから、感激する。友達の中には『そっか、マーズ・ヴォルタの複雑に絡み合う和音の良さが、君にはわからないんだ?』なんて言ってくる子もいたけれど。仲良しグループの中には、ハイブロウな音楽をありがたがる雰囲気がすごくあったから。それで、私はと言えば何も知らないし、楽器も演奏できない。頭はいいかもしれないけれど、そんなの何の足しにもならないって感じていた」

デビュー当時から築いてきたファンとの関係性。

当初から、ロードの音楽に描かれる自身の姿は、アウトサイダー、「みにくいアヒルの子」だった。デビュー作『ピュア・ヒロイン』で、彼女はクールな女の子たちに痛烈な批判を浴びせている。収録曲の「ア・ワールド・アローン」には、「形ばかりの友達はみんな……ビジネスを学んでいて、私はダンスフロアを極める」という一節がある。思春期特有の試行錯誤を率直に鋭く掘り下げた彼女の楽曲に、ファンは心を寄せ、熱烈に支持した。それでも、ロードの信奉者たちは、粗製乱造のコンテンツが日々供給されるようなスタイルを望まず、彼女への思いをネット上でそれぞれに披露している。ロードにとって、人目に触れない環境が大切であることや、彼女の姿を垣間見る機会が貴重なものであることをファンも理解しているのだ。ファンはみな、彼女が好むファンとのコミュニケーション手段であるニュースレターが、受信箱に届くのを辛抱強く待っている。そこに綴られているのは、ファンへの愛情に満ちた、日記のような、頭に浮かぶことをそのまま記した随想だ。ロード自身が公に明らかにしたことはないものの、彼女がジャスティン・ウォーレンという音楽レーベルの幹部と長い間交際していることは、広く知られている。「有名人が『私はとても幸せ』という一言だけで済ませられるのだとしたら、それはとてもいいことだと思う」とロードは私に語った。「『彼女はとても幸せだ』と書いてもらってかまわない。そこが健全な境界線、ということね」

自分の作品のリスナーには「たまたま耳にしただけ」という人は少なく、曲を聴いた反応も、強く感情をゆさぶられる人とまったく何も感じない人に二分されることは、彼女も承知している。また、自分の曲がLDBTQ+のオーディエンスから共感を呼んでいることは、うれしく思っているという。「ファンの中に、かなり大きな、若いクィアのグループがある。これは私にとって、とても尊いこと」と彼女は語る。「人って、『自分に子どもが生まれたら、こんな感じだな』と、子どもができる前から確信している。自分に生き写しの、それこそ100万人の小さな自分ができると思っているわけ。同じように、本を書くと、『自分と似たような人しか興味を持たないだろう』と思う。でもそれは違う」。そう言うと、彼女は手にしたバッグを探り、香料が効いた濃い色のドライアプリコットを2個取り出した。1つは自分で食べる用、もう1つは私が食べる分だ。「私はもともと、すごく皮肉っぽい。でも、自分の作品に起きる、錬金術のような変化については、皮肉めいた考えはない。私の作品は、人に大きな衝撃を与える。私のファンは若くて、感情や精神のよりどころとして、私にすごく期待しているのもわかる。でも愛着という意味では、ほかの対象に寄せる感情と何も変わりがない。できるなら、健全な感情であってほしい。お互いにとって望ましいものでないとね。ママは別の部屋に行って姿を消しても、必ず戻ってくる──親子と同じで、そういう理解が必要っていうこと!」

10代のころにはなかった自信と遊び心。

私たちはタクシーに乗り込み、マンハッタンの南にあるロードが泊まるホテルに向かった。ここの外には常にパパラッツィが待ち構えていて、彼女によれば、パパラッツィにかまってもらえるという理由だけで、ここに住んでいるセレブもいるという話だ。もちろん、ロードはそうしたタイプではない。秘密の入り口へのキーを持っている彼女は、私たちを連れて洗濯物が入った容器が並ぶ地下通路を通り抜け、静かな中庭にたどり着いた。時刻はまだ午後のお茶の時間だったが、カフェインに耐性がないロードは飲み物としてビターズのソーダ割りを注文する。庭に座る彼女は、黒地に黒の花が描かれている古いドリス ヴァン ノッテンのスリップドレスに、ザ・ロウのサンダルとバッグを合わせている。彼女はファッション通ではあるが、『ソーラー・パワー』の冒頭を飾る曲「ザ・パス」には、メットガラに対するそこはかとない当てこすりと思われる一節がある。「ファッションは美しいと思うこともあるし、本当にばかげていると思うこともある」と、彼女は私に言う。「でも理屈抜きで心が震えた瞬間は、はっきりと覚えている。(自身が出席した2015年のメットガラで)『ファラオの像がすぐそこにあるこの場所で、私たちゲストはクチュールで着飾っている』と思ったときもそう。ファッションは、まあ、好きかな。そこから得られるものは、ものすごくたくさんあるから」

最新作『ソーラー・パワー』で、ロードはかつて自身が否定した生身の体の素晴らしさを思い切りアピールしている。世間を大いにざわつかせたアルバムカバーは、ジャンプする彼女の姿を真下から撮影したもので、股間がはっきりと映っている。かつて「可愛い女の子は私が知っていることを知らない」と歌ったロードだが、今作のタイトル曲では「私は可愛い目の救世主みたいなもの」と歌う。彼女は自身が言うように、「脳が瓶に入っているようなタイプ」なのかもしれないが、どうやら体は瓶から抜けだし、自由を謳歌しているようだ。「私は『生まれて初めて若さを実感している』と言ったけれど、それはつまり、自分の尻を人目にさらしてもいいくらい自信がついたということ。10代のころなら、こんなことはとてもできなかった」と、彼女は思いを語る。「まだ若いうちにものすごく有名になると、感情だけが先走ってしまう。そうした時期に、ツイッターで私の体についてあれこれ言われているのを見たら、身を縮めて、そういうところから離れるのが自然な反応。でも今は、自分の価値や持つ力をはっきりと自覚している。それに何より、私の体は最高にかっこいい。私のすべてを取り仕切っているのは脳みそで、それに比べると体の役割は小さい。それでも、今なら自分の体についてあれこれ言われても、嫌な気分になることはないと思う。それが16歳と24歳の違いね。新しいアルバムには、遊び心が発揮されている。つまりそこには──ほかに言いようがないのでこう言うけれど──性的な要素が含まれている。大自然の懐に飛び込むのは、ある意味、たわむれの恋のようなもの。私にはそう感じられた。遊び心と喜びに満ちていて、少しだけ性のにおいがする、っていう」

私たちが話を終え、席を立つころには、ハドソン川の上に広がる空には夕焼けが広がり始めていた。彼女はこのどこか毒々しい都会の日没の風景を、神秘に満ちた母国、ニュージーランドの澄み切った空と同じくらい愛するようになったようだ。そして彼女は、NBAファイナルの優勝がかかった試合を見るために、ホテルの自室に戻ろうとしていた(彼女がアメリカのプロバスケットボールリーグのファンになったいきさつや理由は、先ほどの「健全な境界線」の向こう側に位置する事柄だ)。冒頭で触れた「山あり谷ありの季節」のまっただ中にある彼女は、翌朝の8時半にはスタジオ入りする予定があるため、きょうも早めに寝るつもりだという。これはニューアルバムの2枚目のシングル「ストーンド・アット・ザ・ネイル・サロン」のパフォーマンスを深夜のトーク番組向けに収録するためだ。

爽快な夏の空気に満ちてはいるが、それでも、『ソーラー・パワー』は否応なしにロードらしさを感じさせる。哀愁を帯び、ノスタルジックで、喪失感や変化への困惑に満ちている。セカンドシングルの「ストーンド・アット・ザ・ネイル・サロン」で、ロードは「16歳のころに大好きだった音楽からも、いつかは卒業してしまう」と嘆く。だがこれは実のところ、嘆きではないのかもしれない。「この曲は、私の人生の中で、喜びに満ちた時期から生まれたもの」とロードは打ち明ける。「私は今、心に余裕を持って、弱さを認めたり、この先の未来や自分がいつか死ぬことについて考えたりすることができる。それが私の中で恐怖や悲しみと結びついているかというと、必ずしもそうではない。今はそうした思いにとらわれていないし、別の一面を見せることに喜びも感じている。私は姿を変えた。今はこの姿を思い切り満喫したいと思うわ。でもまた時が経って、『故郷に戻って自宅のソファで読書をしながら一年を過ごしたいな』というタイミングになれば、私にはそれがわかるはず」

Profile
Lorde
1996年、ニュージーランド最大の都市オークランドの郊外で生まれる。デビューシングル「ロイヤルズ」が全米チャート1位を獲得し、ニュージーランド出身のソロ・アーティストとして史上初の快挙を達成。最新アルバムを引っさげたワールドツアーを来年2月より、地元公演を皮切りに予定している。

Photos: Théo de Gueltzl Styling: Camilla Nickerson Text: Rob Haskell Translation: Tomoko Nagasawa