「自分のプレイとしては、1点はただの1点なので……」
日本中を熱狂させた、サッカーW杯カタール大会スペイン戦での決勝ゴールについて尋ねると、田中碧はさらりとこう答えた。
「僕のことを知る人は増えただろうし、まわりからの見方も変わったかもしれないけれど、あの1点だけじゃ、僕のサッカー人生はそんなに変わらないって感じですね」
笑顔の絶えない朗らかな表情とやわらかな物腰は、ピッチでハードワークする姿とは少しギャップがあるけれど、この日の現場を楽しんでいることが伝わってくる。束の間のシーズンオフにリラックスすることが、新シーズンに向けてエネルギーをチャージすることにつながるのかもしれない。
この日は、ディオールの2023年秋に向けた新作を着て撮影が行われた。田中自身も楽しみにしていたという。ゲストデザイナーに「デニム ティアーズ」の創始者であるトレマイン・エモリーを迎えたコレクションは、ジャズの旅がテーマ。1950年代、演奏旅行で海を渡ったアフリカ系アメリカ人のミュージシャンたちは、仏・パリの街にインスピレーションを得たいっぽうで、パリのオーディエンスにも大きな影響を与えた。今回のコレクションには、この化学反応が生まれた瞬間の感動が表現されている。
日本からヨーロッパへと“サッカーの旅”に出ている田中碧も、同じようなケミストリーを経験しているのではないだろうか。そうこうするうちに準備が整い、最初のカットの撮影が始まった。
「素肌にこのニットベストを着るのか、と驚きました(笑)。これはなかなかレベルが高いので、自分でコーディネートすることはないなと思ったのですが、着てみたらかなりお洒落ですね。あと、バッグを組み合わせるとすごくいい感じになると思いました。バッグを持つだけで、服の印象がガラッと変わるのがおもしろいです」
しげしげとバッグを眺める田中に、普段はどこでファッションの情報を入手しているのかを訊いた。
「日本でもヨーロッパでもそうなのですが、チームメイトの洋服を観察しています。川崎フロンターレにいた時は家長(昭博)選手や谷口(彰悟)選手の着こなしや、チョイスするアイテムがおもしろかったし、ヨーロッパではピチッとタイトに着こなす選手が多くて、『なるほど』と思いながら参考にしています」
「このセットアップはするっと(身体が)入って、しかも着てみたらカッコよくて、いいじゃん!と思いました。こういう色柄のTシャツはあまり着る機会がなかったんですけど、アリですね」
もうヨーロッパには馴染めましたか?と話を振ると、「馴染めてはいないですけど、それを気にしないタイプというか、サッカーができればなんでもいいかな、という感じです」という答えが返ってきた。
「21歳くらいの頃、世代別の日本代表に選ばれて海外の選手と試合をした時に、全然違うな、向こうでやってみたいなと痛感したんです。ドイツで2年やってみて、フィジカルもメンタルも成長したと思います。いろいろな経験をして、まだまだ自分には伸び代があると感じられるいまが幸せですね」
「これはシンプルにカッコいいですね。上着の形もいいし、ショーツもスタイリッシュです。柄はけっこう主張が強いけど……、俺、これで街に行けると思いますか? えっ、行けますか?(笑) ディオールを着て、改めてファッションってすごいと思いました。自分は何も変わっていないのに、カッコよくなった、強くなったと思える。自分でも知らなかった一面を洋服が引き出してくれる感じがしますから」
すべての撮影を終えてから、しばしサッカー談義。
スペイン戦でのゴールだけでなく、プロとしてのデビュー戦など、ここぞという場面で田中は点を決めている。自分は“持っている”と感じることはあるのだろうか?
「持っているというより、常に準備している結果だと思っています。幸いにも、自分は諦めずにやり続けることができます。だから、自分には絶対にできると信じている部分がある。チャンスをつかむというよりは、チャンスを見つけているだけかもしれないですね」
なるほど、田中碧にとってのチャンスとは、ラッキーに転がり込んでくるものではなく、万全の準備をしたうえで探しに行くものなのだ。
最後に、ヨーロッパで3年目となる新シーズンの抱負を聞いた。
「できることは増えているという自信はあるので、あとは数字かなと思っています。得点やアシストなどの数字によって見られ方や評価も変わるし、自分の中での達成感も上がってくると思うから。これからは特に、数字にこだわってやっていきたいです」
田中碧のサッカーの旅は、まだ始まったばかりだ。まもなく開幕する新シーズン、彼はどんな景色を見るのだろうか。
田中碧
1998年生まれ、神奈川県出身。幼稚園に通う頃からサッカーを始め、小学生になると川崎フロンターレのアカデミーでプレイするようになる。2017年に川崎フロンターレでプロ選手としてのキャリアをスタート、主軸選手に成長するいっぽうで、日本代表にも選出されるようになる。東京オリンピックで全6試合に先発出場した後、2021年夏にフォルトゥナ・デュッセルドルフへ移籍。2022年12月2日に、サッカーW杯カタール大会のスペイン戦で決勝ゴールを決め、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。