深いいウルトラマン

映画『シン・ウルトラマン』の公開に合わせて、怪獣好きで知られるみうらじゅんが語るウルトラマンのちょっとイイ話。

昨年、NHKの対談番組で樋口真嗣監督と久しぶりにお会いすることが出来、大変楽しい時間を過ごさせて頂いた。

その際、樋口さんが「今のところはここまでですかね」と、言ってこっそり見せてくれたメモ帳。そこには次回作『シン・ウルトラマン』のアイデアや、ウルトラマンと怪獣の絵コンテがわんさと描き込まれてた。

「カラータイマーがない」「そうなんです。元々、成田亨デザインのウルトラマンにはカラータイマーがなかったでしょ?」「で、元に戻そうと?」「そうなんです」

樋口さんの話を聞いてて、この人、すごいな、分かってんなぁーと感心したのは今回、撮るに当たって当時のウルトラマン制作者がしたかったけれど、当時の技術では出来なかったことは何か? それを考え、現代に活かす。〝シン〟とは言えど全く、新しいウルトラマンの誕生ではないことだった。

それには初代ウルトラマンを作り上げた人たちへの最大のリスペクトがある。すべて、キュウ(旧)があってのシンなわけだから。

以前にも何度かお会いしたし、酒を飲んだこともある。でも、樋口さんと喋ったことは怪獣のことだけだ。いや、怪獣話以上に楽しい会話など存在しないと互いに思っているからであろう。

現時点では未だ、観ていないので『シン・ウルトラマン』に期待しながら、ここではそもそもウルトラマンとは何だったのかについて考えてみたいと思う。

1966年1月からはじまった特撮TV番組『ウルトラQ』。それがお茶の間までにも怪獣ブームを巻き起こした。続く第2弾が『ウルトラマン』であった。

放送開始前『ウルトラマン前夜祭』というPR番組まであり、ブームは最高潮、ウルトラマンは元より、特撮の神様・円谷英二さんまでもが杉並公会堂の舞台に立っておられた。

もう、その頃にはかなりイカれた怪獣少年だった僕は父親のカメラで何度もテレビを画撮しまくっていた。

それ以前にもウルトラマンの造形は少年漫画雑誌などで見て知っていたが、やたら顔の表面がボツボツの〝あばた〟 面だった。それに薄っすら口が開いていて微かに笑っているように見える(後にマスクは何度か作り直されるが、初期型が一番ミステリアス)。彼はM78星雲(光の国)からやって来た宇宙人だという。〝ふーん〟と、当時、僕が思ったのは、あくまで怪獣ファンだったからだ。本当は巨大ヒーローに退治されなくて、時間ギリまで大暴れして欲しかった。本編でも科学特捜隊のイデ隊員が、結局、怪獣はウルトラマンがやっつけるわけで、僕らが存在する意味がないといじける回があった。だって〝大怪獣のあとしまつ〟もウルトラマンが宇宙の怪獣墓場に葬ったりするんだもん。

ま、そんなよく出来た脚本もウルトラマンの人気のひとつ。最終回の意外な結末にも大層、驚いたものである。

僕は小学4年生で突如、怪獣から仏像に趣味をシフトした。理由は割愛するが、密教仏の異形に怪獣を感じたことも大きかった。

その時、ウルトラマン初期型マスクの謎も解けた。口元に微笑を湛えてたのはアルカイック・スマイル、それは朝鮮半島から伝えられた弥勒菩薩の特徴ではないか。たぶん、その光の国とやらも弥勒がいるとされる天界のひとつ(兜率天)だ。

そんな持論を熱く喋る僕に一時期、クラスメイトは遠退いていったこともあるのだが。

それは随分後に買った怪獣本で見たものだけど、ウルトラマン以前の成田亨デザイン画はまだ弥勒ではなく、京都・三十三間堂などの迦楼羅像そっくりだった。迦楼羅とはガルーダ。烏天狗のような形態をした神である。

実はウルトラマンの造型の背後にはかつて仏像があったこと。そう思って見るとさらにグッとくるはずだ。

BY JUN MIURA

ILLUSTRATION BY JUN MIURA

みうらじゅん

イラストレーターなど

1958年京都市生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、漫画家、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンとして活躍。著書に『マイ仏教』『見仏記』シリーズ(いとうせいこうとの共著)『「ない仕事」の作り方』『マイ遺品セレクション』など。近著に『永いおあずけ』(新潮社・刊)『見仏記 道草篇』(いとうせいこうと共著・角川文庫)がある。