経験を積めば、ますます楽しくなる
長く、幅広いキャリアを築いていくなかで、イーサン・ホークは、あるひとつの主義を守ってきた。完全なる悪者を演じない、ということだ。
「ジャック・ニコルソンのキャリアは『シャイニング』に主演したせいで大きく変わったと、僕はずっと思ってきました。あの狂気、恐ろしさを一度見てしまったら、見なかった時にはもう戻れない。ほかの役を演じている彼を見ている時にも、どうしてもそれがちらりと頭によぎってしまいます。だから、僕はそこに注意してきたんですよ」
そう語るホークは、映画『ブラック・フォン』で、自分で決めたそのルールを破った。スコット・デリクソンが監督するこのホラー映画でホークが演じるのは、子どもを狙う連続誘拐犯“ザ・グラバー”。さらった子どもを地下室に閉じ込め、最終的に殺すこの男に、同情の余地はまるでない。『フッテージ』(2012)で組んだデリクソンから脚本を送ると言われると、ホークは「僕が出る可能性はとても低いですよ」と先に警告しておいたという。
「でも、脚本を読んでみたら、すばらしかったんですよ。『フッテージ』でスコットとの仕事をとても楽しませてもらいましたし、僕ももう50歳。これまでの方針を変えて、自分の心のなかにある暗い部分と向き合うのもいいかなと思うようになったんです。そう判断したのは間違いじゃなかった」
自分とまるで共通点のないこの男を演じるうえでは、舞台でマクベスを演じた経験が手助けになった。
「あの物語では、邪悪な心がどこから来るのか、自信のなさがどのように傲慢へと変わっていくのかが語られます。一度嘘を言い始めると、その嘘を正当化するためにひたすら嘘をつき続けなければならないということも。正確にそこから何を学んだのかは自分でもわかりませんが、そこには闇についての文法があるように思いました。この映画で、僕たちはマクベスの末期を見ます。彼はバランスを失っていて、どちらが北でどちらが南なのかもわからなくなっている。彼はめちゃくちゃな状態にあるのです」
だが、今作の主人公はホークが演じる悪人ではなく、13歳の少年フィニー。外ではほかの子どもたちにいじめられ、家には虐待をする父親がいるフィニーが唯一頼れるのは、妹グウェン。夢を通して何が起こっているのかを見られる不思議な能力を持つグウェンは、兄が誘拐されると、夢を頼りに必死で探し出そうとする。子どもたちの視点で語られるのも、ホークが今作を気に入った理由のひとつだった。
「この作品では、大人たちがちゃんと子どもたちの面倒を見ていない、ということが描かれます。もちろんザ・グラバーはとんでもなくひどいですが、それ以外の大人たちもそんなに子どもたちを大切にしていないんですよ。そんななかで、この兄妹は、お互いを愛し、助け合っていく。悪がある世の中で、自分たちで自分たちの面倒を見るんです。僕はそこに美しいものを見るんです。ヒーローのジャーニーは、自分を被害者と見るのをやめるところから始まるのではないかと思います。この映画は、それを語ります」
フィニーを演じるメイソン・テムズは、今作で映画デビューを果たすニューフェイス。演技とはいえ、そんな彼に対して恐ろしいことをやってみせるのは、当然気が重かった。
「若い人に怖い思いをさせるのは辛いですよ。僕はこの映画で、普段なら想像もしたくないことをやらないといけませんでした。でも、神話や伝説、フェアリーテールにも、暗い要素はあり、そこには意味がある。僕はそれらの話の価値を信じるので、不安を振り切って飛び込んでいくことにしたんです。普段のように、一緒に食事に行ったりして仲良くなれたらもっと楽だったでしょうけれど、パンデミックでそれが許されなかったのも残念でしたね。僕自身も子役出身なので、なおさら気を遣うのですが、あの子たちは才能もあるし、とても良い子たちでした」
彼自身が言うように、ホークが舞台でデビューしたのは13歳の時。以後、ホークは、映画やテレビ、舞台で俳優として活躍するほか、脚本家としても2度のオスカー候補入りを果たし、監督やプロデューサーも務めてきた。51歳の今も大の売れっ子で、最近もマーベルの『ムーンナイト』や、アレキサンダー・スカルスガルドが主演するバイキング映画『The Northman』に出演している。現在は、『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』のサム・エスメイルが監督する映画『Leaving the World Behind』を撮影中だ。この後もスローダウンするつもりはまるでない。
「僕はこの仕事が好きでたまらないんです。一度の人生では足りないと思うくらい。歳をとると若い頃にやっていたような役はもうできないけれど、その代わりに得られるものがある。僕はこれを長いことやってきましたが、まだ新しいことのように感じます。監督が違えば全然違いますからね。
今年はポール・ニューマンについてのドキュメンタリーも作ったんですよ。それも新しい経験でした。若い俳優は自分のことだけしか見ないものですが、経験を積むうちに、もっと広い目で見ることができるようになってくる。自分がどう貢献できるかだけじゃなく、この仕事自体が自分に何をもたらしてくれるのかに気づくようになるんです。そうなると、ますます楽しくなるんですよ」
7月1日(金)全国公開
配給:東宝東和
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公式サイト:https://www.universalpictures.jp/micro/blackphone
取材と文・猿渡由紀