「依存症」専門の精神科医・松本俊彦さんインタビュー【前編】──「薬物を手放すために必要なのは、刑罰ではなく治療と支援です」【GQ VOICE】

昨年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』の著者である松本俊彦さんに、「依存症」の現在とその向き合い方について訊いた。その前編。

松本俊彦さんは、依存症を専門とする精神科医だ。自殺予防や依存症治療に携わってきた半生をつづった『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』(みすず書房、2021)は、昨年日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。依存症というと、いまだに覚醒剤などの違法薬物やアルコールなどが想起されがちだが、この数年、実情は変わりつつあるという。また、多くの依存症者は、快楽への欲求ではなく、仕事や学校、家庭内での生きづらさやこころの問題を自力で乗り越えようとした結果、依存症に陥っている。依存症とは、先行きの不安な時代を生きる私たち誰の身にも起こりえる、じつは非常に身近な問題なのだ。

『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』

若者と依存症

──この数年、患者さんの相談内容や症状などに変化を感じましたか。

この約3年間のコロナ禍で特に深刻に感じたのは、10代の若者による市販薬の過剰摂取(オーバードーズ、OD)が急増したことです。また、依存症ではありませんが、リストカットや摂食障害で診察に訪れる子たちも増えました。休校でステイホームを余儀なくされた結果、家庭内に問題を抱えていた子どもたちが居場所を失い、こうした行為に至っていたのです。

思いかえせば、緊急事態宣言で多くの商店が休業する中、ドラッグストアだけは元気に営業していました。そこで購入した咳止め薬や風邪薬を乱用することで、彼らは誰にも言えない生きづらさを紛らわせていました。しかも、この流れは現在も続いていて、10代の薬物依存症者を対象に行った調査では、ついに市販薬の依存症者の割合が違法薬物を上回ったことがわかっています。この問題は、彼らに薬をやめさせても解決しません。搬送されてきて初めて、支援が必要だと判明し、解決の第一歩にたどり着ける子どもたちがたくさんいます。

また、自殺との関連も無視できません。10代の自殺者総数は現在も増え続けていますが、コロナ禍では特に高校生を中心に数が増えました。生きるためにODをしていた子が、ある日ふと「もう死んでも構わない」という気持ちになって一線を超えてしまう、ということが増えています。

「悪い」依存症

──コロナ禍に刊行された『誰がために医師はいる』は、昨年エッセイスト・クラブ賞を受賞しました。患者さんの壮絶な過去や厳しい治療現場の様子など、読んでいてつらくなるような描写もありましたが、思わずくすっと笑ってしまうようなご自身のエピソードも随所に書かれていて、見た目の難しそうな印象とはまったく異なり、非常に親しみやすいと感じました。

これまでに、学術論文や専門書、新書などは書いてきましたが、こうした読みものを書くのは初めての体験でした。みすず書房は僕が10代の頃に憧れていた版元だったので緊張もしましたが、実体験を含め、これまで書くことがなかった話を書けたことは、非常に楽しかったですね。

──カフェインやタバコへの依存、ゲームや自動車改造に“ハマった”体験から臨床の考察へとアプローチする展開には、松本さんが依存症をただ診るべき病としてではなく、身体で理解しながらわかりやすく伝えようとしている姿勢が表れているように思います。そしてあらためて、私たちの暮らしの中には、さまざまな“依存”が存在することを再認識しました。

何にも依存することなく生きているなんて、反対に不気味な感じがしますよね。私たちは、日々たくさんの人に助けられながら生きています。それに人じゃなくても、仕事の合間のお菓子や帰宅後の晩酌など、いわゆる“ご褒美”だって、場合によっては依存だと捉えられます。

僕は、依存自体が問題だとは考えていません。しかし、依存のなかには「悪い依存」もあります。たとえば、晩酌のおかげで日々仕事を頑張れていた人が、次第に翌朝起きて会社に行けなくなる、パフォーマンスが極端に落ちてしまう、酩酊して人を言葉や暴力で傷つけるようになってしまう場合がある。さらには、そんな行為を繰り返しているにもかかわらず、飲酒をやめられなくなってしまう。これは明らかに「悪い依存」です。デメリットがメリットを上回ったのに、それを手放すことができない状態ですね。

『依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』

薬は使い方次第

薬物だって、メディアや薬物乱用防止教育では、悪で恐ろしいものだと喧伝されていますが、決してそれ自体が問題なのではありません。最近監訳した『依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』(著=カール・エリック・フィッシャー。監訳=松本俊彦、訳=小田嶋由美子、みすず書房、2023)は、人類がいかに薬とともに歴史を歩んできたのかを描いた良書です。著者のフィッシャーは精神科医ですが、強制入院させられた経験を持つ元アルコール依存症者で、自らの回復プロセスや治療体験も織り込まれています。本書には「よい薬物、悪い薬物」という章がありますが、薬物自体に「よい/悪い」はないのです。

たとえば、覚醒剤は麻黄(マオウ)という植物からエフェドリンという成分を抽出して合成したものですが、そもそもエフェドリンは喘息の治療薬として発見され、のちにうつ病の薬として使用されていました。マオウ自体も、現在市販されている漢方薬に含まれています。他にもご存知の通り、アヘンやタバコ、アルコールが医薬品として使用されていた時代もありました。つまりどんな薬物だって、使い方次第でよい薬にも悪い薬にもなるのです。

また、現在アメリカで問題になっているのは、医療用オピオイドです。オピオイドとは、モルヒネなど麻薬系の強力な痛み止めのことで、正しく使用すれば患者の身体的な痛みを緩和することができますが、アメリカではこのオピオイドの乱用や依存で毎年数万人が死亡しており、深刻な社会問題となっています。

日本でも、若年層に限らず、市販薬の依存症患者が年々増加しています。市販薬も、適切に使用すれば問題はほとんどありませんが、医療現場では危険なために使用しなくなった成分が含まれることも多く、安全だとは言いきれません。

依存症への偏見や自己責任論

──依存症患者への偏見に対して、長年松本さんは著書や取材などさまざまな場所で「“困った人”は困っている人」なのだと、厳罰ではなく支援の必要性を強調してこられました。

薬物の所持や使用で逮捕されたタレントへの執拗なバッシングを見ていても、依然として依存症者に対する偏見が根強いと感じます。日本では、薬物依存は「病気」ではなく「犯罪」として扱われていますが、じつは国際保健法の観点では、日本の薬物政策や厳罰は依存症者への人権侵害だという批判も起きています。

そもそも、薬物乱用防止教育に問題がある。「ダメ。ゼッタイ。」という耳に残るキャッチコピーで、一度でも薬物を使用すれば人生は破滅すると、幼い頃から偏見の種が植えつけられています。しかし、人は薬物を使用したって破滅はしません。厳しい差別や偏見、社会からの孤立によって、破滅させられるのです。殺人や性犯罪とは違って、違法薬物は「被害者なき犯罪」と言われることがあります。家族や周囲の人が傷つく場合もありますが、しかし最も傷ついているのは当事者自身です。悩みや苦しみを抱えて薬物に手を出してしまい、さらに依存症で健康を害し、生活もままならなくなっているのですから。

薬物を手放すために必要なのは、刑罰ではなく治療と支援です。データからも、刑務所に服役するたびに、回復が難しくなっていくことがわかっています。一度犯罪者のレッテルを貼られてしまうと、社会に居場所が見つかりにくくなって孤立してしまう。友人や恋人、家族との絆を失えば、結局つながれるのは違法薬物の界隈だけになってしまいます。健康的なコミュニティを失うことが、どれだけその人の回復やその後の人生にマイナスになるでしょうか。

日本の薬物政策は、薬物の規制ばかりで肝心の「人」が不在になっていますね。「薬物の不適切な使い方をしている人には、必ず悩みや苦しみ、心の痛みがあるんだ」というスタンスで、向き合っていかなければなりません。

【後編へつづく】

松本俊彦(まつもと としひこ)

1967年生まれ。佐賀医科大学卒業。横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部、同研究所自殺予防総合対策センターなどを経て、2015年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長。博士(医学)、精神科医。著書に『自傷行為の理解と援助』(日本評論社、2009)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社、2015)、『もしも「死にたい」と言われたら』(中外医学社、2015)、『薬物依存症』(ちくま新書、2018)、『誰がために医師はいる』(みすず書房、2021、第70回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)ほか多数。訳書に『自傷からの回復』(監修、みすず書房、2009)『人はなぜ依存症になるのか』(星和書店、2013)『依存症と人類』(監修、みすず書房、2023)ほか多数。

贄川雪(にえかわ ゆき)

編集者。本屋plateau books選書担当・ときどき店番。

編集・横山芙美(GQ)、イラスト・gettyimages


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