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グラミー賞が“オワコン”にならないために

「第65回のグラミー賞を制するのはビヨンセか、アデルか? そんな予想には加担したくない」──グラミー賞を主宰するレコーディング・アカデミーの会員でもある竹田ダニエルがそう語る理由、そして、今のグラミー賞の実態に鳴らす警鐘とは?

ビヨンセ VS.アデルの対立構造を煽らないで

1月末、ビヨンセは4年ぶりのライブをドバイで行った。昨年リリースしたアルバム『Renaissance』が、性的マイノリティである叔父を追慕するものだったため、同性愛が法律で罰せられるドバイでの公演(ギャラは約31億円)には批判の声もあがっている。Photo: Mason Poole/Parkwood Media/Getty Images for Atlantis The Royal)

「今回のグラミー賞ビヨンセとアデル、どっちが勝利する?」──授賞式を控えて、このような質問をされることは多い。近年、グラミー賞は、内部で起きる権力闘争、受賞するアーティスト、さらには放映するパフォーマンスに関して、社会からのバックラッシュを浴びていて、視聴率も年々低迷している。今年も、最優秀レコード賞、アルバム賞などの主要部門で「ビヨンセとアデルのどちらが受賞するか」が、人々やメディアの最大の関心事なのかもしれないが、個人的には、この「勝ち負け」の概念、そして勝敗を決める判断基準そのものに極めて懐疑的だったりする。

そもそも授賞式というのは(特にグラミー賞は)、特定の階級の人たちが勝手に決めるものであり、その作品自体の絶対的な価値や良さに対する正当な評価ではない。特に、女性同士を争わせる、という対立構造については、無意味かつ有害ですらあると思う。業界やメディアは、才能にあふれ、成功している女性同士を何かと対立させたがるが、どちらかが「勝つ」もしくは「負ける」シナリオを作り上げるよりも、両者の功績と社会的貢献を「祝福」するかたちに変わっていくことを、多くの人は望んでいるのではないか。さらに言えば、昨今、グラミー賞の歴史における人種差別的傾向に辟易しているZ世代や若者の間でのグラミー賞に対する関心と評価は、年々右肩下がりだ(もちろん受賞自体に意味がなくなったわけではなく、いまだに大きな箔付になっているのも事実だけれど)。

グラミー賞の内情

フランク・オーシャンやザ・ウィークエンド、ドレイク、カニエ・ウェストなどグラミーをボイコットする黒人アーティストは多い。写真は2021年のメットガラに登場したフランク・オーシャン。Photo: Theo Wargo/Getty Images

自分は今でも一応、グラミー賞を主宰するレコーディング・アカデミーの会員だ。そして、内部事情を知ると、個人レベルではかなり先進的な組織だと感じるときは確かにある。例えば、アカデミーに所属する学生向けに、よりインクルーシブな音楽業界を作るための講座をラン・ザ・ジュエルズやテイラ・パークスを招いて行ったり、メンター制度でも多様なバックグラウンドの学生やメンターを起用しており、「もっと現代的な価値観を示していなければならない」という意識を持つ会員も少なくはない。

しかし同時に、組織の上層部には白人男性が多く、「アメリカの音楽はこうあるべき」だという考えが根底にあると感じることも多い。女性が奏でるロックや、アジア人が歌うポップスなど、“伝統”から脱した楽曲やアーティストが当たり前のようにヒットし、社会的に評価される時代の中で、やや保守的な組織の体質と世間の間には確実にズレが生じている。

個人的には「グラミー賞予想」そのものに加担したくない。なぜなら、先にも触れたが、純粋に音楽の良し悪しや人気で受賞が決まるのではなく、社会の動きや組織としての忖度、もしくは音楽業界が作りたい「イメージ」戦略の一環として、ないしは投票者の至極勝手な好みによって、結果が左右されるから。これは、エンタメが社会的影響力を持ちすぎた結果だとも言える。

視聴者が抱く不安

2017年開催の第59回グラミー賞でアデルは5冠に輝いた。Photo: Phil McCarten/CBS via Getty Images

冒頭のビヨンセ VS. アデルに話を戻そう。ビヨンセは昨年リリースしたアルバム『Renaissance』で大成功を収め、今年のグラミー賞で最多の9部門にノミネートされている。しかし、歴史を変えた作品として高く評価されているアルバム『Lemonade 』で、今年と同様にビヨンセの最多ノミネートが話題になった2017年を振り返ると、アデルが 『25』でアルバム・オブ・ザ・イヤーを含む計5冠を獲得した一方、ビヨンセは 「Formation 」での最優秀ミュージックビデオ賞、最優秀アーバン・コンテンポラリー・アルバム賞の2冠受賞に留まった。

この事件こそ、グラミー賞に対する世間の大きな不信感を生むきっかけとなり、アデル自身も「2017年のグラミー賞の主要部門はビヨンセが獲るべきだった」と幾度となく発言している。アルバム・オブ・ザ・イヤーに関しては、ビヨンセはこれまでテイラー・スウィフト、ベック、アデルに敗れている。アメリカでは、ファンはもちろん、多くの人々が「アデルとビヨンセどちらがどの部門を受賞するのか」という期待感ではなく、「もしビヨンセがまた負けたら」という不安を抱えているのだ。

歴史的に見ても、グラミー賞は「人種差別」とも取れる、黒人アーティストの過小評価が批判されてきた。R&Bやヒップホップが今の「アメリカ」の音楽シーンの中核的存在であるにもかかわらず、授賞式ではTV放映がされないサブコンテンツ扱いであったり、不透明な投票プロセスなどにも批判の声は絶えない。そしてそうしたグラミーの負の側面は、フランク・オーシャンザ・ウィークエンド、ドレイク、カニエ・ウエストといった影響力の大きい黒人アーティストたちがグラミー賞をボイコットする要因にもなっている。

グラミーから締め出されるアーティスト

ルイ・ヴィトン / LOUIS VUITTON 2023/34秋冬メンズコレクションでパフォーマンスを披露するロザリア。Photo: EMMANUEL DUNAND/AFP via Getty Images

また、たくさんのアーティストが「snub(冷遇)」されたことで、授賞式自体の信憑性が落ちることも懸念されている。音楽ジャーナリストのベン・ネイサンはネットメディアimpactnottingham.comに、こう寄稿している。「今年度最大のsnubは、今年最も高い評価を得たアルバム『MOTOMAMI』をリリースしたロザリア。彼女は最優秀ラテン・ロックまたはオルタナティブ・アルバムにノミネートされたが、アルバム・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされて当然だ。フローレンス・アンド・ザ・マシーンは、絶賛されたアルバム『Dance Fever』がダンス部門で完全にシャットアウトされた。サマー・ウォーカーとSZAは、高い評価を得たアルバムとシングルで大活躍したが、R&B部門からは除外され、デミ・ロヴァートのキャリアで最も高い評価を得たアルバム「『HOLY FVCK』は、ロック部門から完全に締め出された」

なかなか体質が変わらない組織が運営する、決してフェアではない選考過程を経た「授賞式」にどのような社会的意義を見出すのか──これからは、視聴者やメディア、社会がグラミー賞に対する認識を変容させる必要もあるのかもしれない。話題性のある授賞式の華やかできらびやかな一面だけを享受するのではなく、社会の反映として、歴史の一部としてグラミー賞を捉えた上で、音楽を、そして社会を考えるきっかけにしてほしい。

Text: Daniel Takeda Editor: Yaka Matsumoto