バットは飛距離より、確率重視
2021年シーズン、最終戦までタイトルを争った大谷翔平選手のホームランは46本! メジャー1年目の2018年が22本、19年が18本、コロナ禍で例年より100試合ほど少なかった20年が7本。今年が突出していることがわかる。
打撃の劇的進化を支えた要素のひとつにバットの変更があった、という説がある。前シーズンまでの、しなりが特徴のアオダモから、ボールを弾く感覚のバーチにバットの素材を変更したことは、あまり報じられていない。
アシックス社でバット/スパイクの開発を担当する河本勇真(こうもと・ゆうま)さんによると、大谷選手はアオダモ素材にこだわっていた選手であったのに、さらにバットのタイプまで変更することにしたというから驚きだ。
「バーチ材であっても重さは変わらないのですが、形状が大きく変わっています。長距離バッターは先端に重心のあるバットを好みますが、今シーズンの大谷選手は、逆に手元に近いところに重心があるタイプに変えたのです。これは、一般的には、飛距離より打率を狙うタイプのバットということになるのですが、ここまでガラリと変えて大丈夫かな、と懸念する気持ちはありました」
しかし、大谷選手は、「飛距離には困っていない」と言い切ったそうで、バットの重心位置を飛距離に有利なようにしなくても、ボールを芯で捉えさえすればホームランは自然に増えるので、バット・コントロールをよりたしかなものにするのに有利な重心ポイントにしたほうが得策である、と、そんなふうに考えたのかもしれない。そしてじっさい、バット・コントロールの確実性を増した大谷選手は、ホームランを量産した。
大パワーを生み出すためのスパイク
大谷選手は、投手用のスパイクと打撃用のスパイクを使い分けずに、おなじスパイク・シューズでプレイしている。スパイクも〝2刀流〟なのだ。しかし、普通は投手用と打撃用ではスパイクが異なる。ピッチャー専用のスパイクはつま先を保護するために、「P革」と呼ばれる補強用の革を被せているからだ。この「P革」はあくまでつま先の破れを防ぐための保護パーツなので、ピッチャーではない選手のスパイクにはついていない。そして、「P革」のあるなしは、投球に直接の影響を与えることはない。しかし、打撃時や走塁時には「P革」は不要なパーツなのだ。
河本さんは「2刀流として前例のない活躍をしている大谷選手をもっとサポートするために、アシックスの靴づくりのノウハウを総動員して大谷選手用のスパイクを開発したい」と、考えた。そして、投手用のスパイクと打撃用のスパイクを場面に応じて履き替えていた日本ハム時代の大谷選手に、1足で投打に対応する新しい考え方のスパイクを提案したのは2016年のことだったという。それは、「P革なしでも摩耗に耐える構造」の〝2刀流〟スパイクで、テニスシューズに用いられるポリウレタン樹脂を使ったのがポイントだった。
「ポリウレタン樹脂は耐摩耗性が高いことに加えて、アッパーの各箇所の厚みの設計の自由度も高いので、必要な部分に必要な厚みを持たせることができます。屈曲性などの耐摩耗性以外のすぐれた機能性と組み合わせて開発しました」
大谷選手はまた、スパイクにたいして、〝立ち感〟性能を重視するという。多くの野球選手は、スパイクを「とにかく軽くしてほしい」とリクエストするそうだが、大谷流は、軽さよりも安定感、安心感を求めるのだという。
「大谷選手は 〝立ち感〟 という言葉を使うんですね。片足で立ったときにグラつかないことや、地面と水平に立つ感覚がしっかりしている様子を〝立ち感〟と呼ぶそうです。アシックスのスパイクはつま先よりかかとが10mm上がった設計になっていて、自然につま先重心になります。したがって楽に動き出して力が出せるわけですが、大谷選手のスパイクはかかとの上がり分が半分の5mmです。一般的なスパイクでは、バットを振る瞬間に力が入る構造ですが、大谷選手はその前の、力をつくり出す、パワーをためる段階を大事にしているのではないでしょうか」
2刀流スパイクはすでに市販されており、2021年の夏の甲子園では、大谷モデルを履く高校球児も見られたという。
「一般用に販売しているモデルにも採用できるようになって、学生野球の2刀流プレイヤーのサポートに役立ちました。当時の高校野球の用具規定ではスパイクの素材は『革』と明示されていたのですが、『摩耗に強い構造は学生プレイヤーにも有益である』という私たちの主張が連盟に認められたのです。大谷選手と一緒におこなった開発を経て、従来のルールを超えた新しい価値をプレイヤーに届けられたと思います」
大谷選手の"2刀流"は、用具の世界にも影響を与えている。
身体の一部のように扱えるグラブ
大谷選手のために開発した用具には、守備用グラブとバッティング用グローブ(手袋)もふくまれる。開発を担当する澤野善尋(さわの・よしひろ)さんによれば、大谷選手のグラブは手の大きさから決まる適正サイズより、かなり大きいという。
「ボールの握り方を見られたくないというのが理由です。ただし、グラブをたんに大きくしただけでは、グラブの先まで指の力が届かない心配があります。そこで、より自然にグラブを扱えるように、内部に人工皮革を用いて指先までのグリップ力を高めています。これは、大谷選手用のグラブだけが採用する、特別な素材です」
2021年シーズンのグラブは、外見のデザインもがらりと変わった。
「大谷選手用にデザインしたというわけではなく、一般販売用につくったグラブをお見せしたら、『これ、いいね』ということになったのです。〝アンチック加工〟という特別な手法を施しています。型押しした皮革の上から金色の塗料を塗り、革カバンのように細やかな文様をつけたもので、和風のテイストです。気に入った理由については、『日本人なので』とおっしゃっていました」
それまでは単色のシンプルなグラブを使い続けてきた大谷選手に、なにか心境の変化があったのだろうか。チャンスがあったら、大谷選手本人に尋ねることにしたい。
文・サトータケシ 写真・高橋一輝