岸田首相の「聞く力」、これでいいのか

岸田文雄首相が2021年秋の自民党総裁選でアピールしたのは「聞く力」だったが、聞いているのか聞いていないのか、聞こえないふりをしているのか、なんだかよくわからないまま8カ月が過ぎた。参院選(6月22日公示、7月10日投開票)を前に、冗談みたいにシンプルなこのスローガンをライターの武田砂鉄が総括する。
岸田首相の「聞く力」、これでいいのか
REUTERS/AFLO

ノートの中身が透けて見えてきた

「ちょっと、話聞いてる?」
「あー、聞いてるよ、聞いてる」
「聞いてないでしょ」
「はいはい、聞きますよ」
「ほら、聞いてないじゃん」
「だから、聞くって言ってんじゃん」
「これから聞くってことは、聞いてなかったってことでしょ」

……これは全国各地で今現在も発生し続けているに違いない口喧嘩の基本形である。これにて、長年続いた関係が破綻するかもしれないし、なぜか大逆転が起きて、結びつきが強くなるかもしれない。

話す、聞く、というのはどんな関係性であっても生じるやりとりである。話すのが得意な人と、聞くのが得意な人がいる。その両方とも得意なんですよ、という人もいるかもしれないが、いずれにせよ、話すと聞くの反復で人間関係は構築されていく。

国民の代わりに政治をやっている人たちは、与党だろうが野党だろうが「話す」よりも「聞く」を優先しなければいけない。まず国民からの要望を聞いた上で、それを受け止め、自分なりに考えて提案する、という流れが政治家の基本形だ。俺がこう思っているんだから、お前たち国民も従ってくれよな、では、国の作りがおかしくなる。

コロナ禍で、「生活が厳しくなってきたのはわかるけど、そう簡単にはお金はあげないよ」と、私たちの税金をあたかも「俺の金」のように扱う為政者が目立ったのだが、昨年、岸田文雄首相が自民党総裁・首相の座を得るために打ち出したスローガンが「聞く力」だったのは、それまでの総裁・首相は、国民の声を聞いてこなかったと理解していたからこそ。決して中身を明かさない「岸田ノート」を掲げながら、「話を聞きます!」と繰り返していた。それは、「朝起きたら顔を洗います!」「風呂を出たら新しいパンツを穿きます!」と同じくらい当たり前の宣言だったのだが、それが斬新に思える異様な状況にあったのだ。

岸田政権が誕生してから半年、岸田首相は「検討ばかりの検討史(遣唐使)」と皮肉られるほど、とにもかくにも、検討します、受け止めます、と繰り返している。これまでの首相が「余計なことばかり言う」で失速したのを見てきたからか、「何も言わないで聞く」を続けると、確かに支持率は上がっていった。いつしか私たちの評価基準が、「いろいろとやってくれる人」ではなく、「いろいろとしでかさない人」になっていたのだ。

で、結果的に、岸田首相が誰の声をもっとも聞いているかといえば、安倍晋三元首相だった。防衛費増大をめぐる議論では、最大派閥の長である彼の言い分を飲み込んだ。何が書かれているかわからなかった「岸田ノート」の中身がようやく透けて見えてきた。

「1:何かを言うのではなく、聞いてますって感じだけにしておけば、ミスは起きにくい」
「2:聞いてますか、と問われたら、検討したり受け止めたりして、踏み込んだことは言わない」
「3:もし聞く場合は、真っ先に聞くべきは党内の重鎮」

これらの中身は、私たちからの「ちょっと、話聞いてる?」に対する、もっとも不誠実な対応である。「聞く力」の正式名称は、ちょっと長くなるけれど、こんな感じだろうか。「聞きますという態度を示し続けることで大抵の批判をかわし、その中から誰の声を聞けばいいのかをこちらで都合よく判断し、その結果、重鎮の声を率先して聞くように心がける力」のことだ。あの小さなノートには、そんなことが書かれていたと今更知らされている。

生まれ変わったのではなく、むしろ、前任者たちの悪評に頼りながら支持を保ち、それなのに前任者たちの指示に動かされているという、いびつな形をしている。「ちょっと、話聞いてる?」と問いかけても、「もっと話を聞くべき人がいるんで」と返されてしまう現状が強化されている。これでいいのだろうか。(6月16日記)

武田砂鉄(ライター)
1982年、東京都生まれ。大学卒業後、出版社で主に時事問題・ノンフィクション本の編集に携わり、2014年秋よりフリーに。著書に『紋切型社会─言葉で固まる現代を解きほぐす』、『わかりやすさの罪』など。近著に『マチズモを削り取れ』(集英社)がある。多数の雑誌連載を持ち、インタビュー・書籍構成なども手がける。