猛スピードで腕をあげる和食の注目株がこだわる、ここで料理する意味──「日本料理 FUJI」藤岡雅貴 『静岡魚物語』Vol.6

近年、「サスエ前田魚店」から魚を仕入れる地元の料理人が静岡に客を呼んでいる。彼らが提供するのは、駿河湾の恵みを最大値で表すフルコース。そのなかで今回紹介するのは、静岡市出身の注目株、「日本料理FUJI」の藤岡雅貴(まさき)だ。
FUJI

魚料理の臨場感にワクワクがとまらない

もしも東京–関西間を新幹線で移動する機会があったら、静岡駅で途中下車して「日本料理FUJI」(以下FUJI)を訪れて欲しい。品川駅から静岡駅は52分、駅から店は徒歩5分。都会を離れてほんの1時間でざぶんと駿河湾フルコースに溺れる体験は、鮮烈な寄り道になるだろう。通り過ぎるのはもったいない。もちろん、FUJI目的の旅もおすすめだ。

店主は藤岡雅貴、37歳。ある食雑誌の編集者は、「いまどきの青年に見えるのに、腕はよくて何者?」と筆者に聞いてきたことがあった。確かに20代に見える顔立ちで、助手のリコさん(24歳)の爽やかさも手伝い、店内には青春のような清々しさが漂っている。

オープンから8年目の店に新鮮な風が吹くのはなぜか。元来の実直な人柄に加え、躍進の真っ只中にいるからかもしれない。

藤岡は本連載で紹介している4軒のなかで一番遅く「サスエ前田魚店」との取引を始めた料理人だ。じつは2019年夏までは県外の魚もよく扱う店だった。それが、前田尚毅が仕立てる静岡の魚に絞ってから、料理のアプローチがガラリと変わった。

「最近、相当目をつけていますよ。FUJIは最後に入ってきたから、一番料理が変わって当然で、今後さらに出てくるでしょうね。あと、入籍したばかりでハッピーなんで、どんどん上へいくと思いますよ!」とは前田尚毅。

確かに、半年前と別ものだと思ったことがある。最後のFUJIが2〜3年前という人は、ぜひ今年行って欲しい。

普段でも十分美味しいが、海の状況が最高の時のFUJIは、料理人の歓喜を皿に注ぐような勢いがある。忘れもしない昨年の12月。渡り蟹から始まり、伊勢海老、いとより鯛、もち旨鰹、黒ムツ、白甘鯛、金目鯛、桜海老と続いた神回があった。

その日の感動を例えるなら、「駿河湾」という箱推しのグループの凄まじくコンディションがいい時のコンサートを最前列でみた感覚だ。

出汁と炭火を駆使し、一品ごとの温度差も巧妙で、緩急のあるセットリスト。焼津の鰹節を削る瞬間も、藤枝の胡麻をする瞬間も、香りの演出として効いている。コンサートの帰り道も興奮が続き、2次会で振り返り、後日も「最高だったよなあ」と思い出す。

和食では食材を客に説明する時間があるが、FUJIでのその雰囲気がまたいい。

「今朝、すごい漁師さんが船の上で活け締めにしたイトヨリです」と真面目に言いつつ、これがあれば掴みはOKといった心の声がもれ出ている感じなのだ。海はいい時ばかりではない、本当に美味しい魚は当たり前に手に入るものではない、と知る人の言葉はシンプルでも説得力がある。そういう価値観を得るまでには少々遠回りがあった。

「サスエ前田魚店」には料理人ごとの水槽があり、海の深層水で伊勢海老を生かしておくこともできる。

伊勢海老の具足煮。伊勢海老のアラでとった出汁と伊勢海老の味噌がかかり、とろみのなかに半生食感の身の甘さを感じる。最初にガツンとくるただ濃い海老と違い、柔らかいタッチで、旨味がじわじわと長く続く。

昆布出汁で温めた蛤と、蛤の旨味を吸わせたもち米。調味料を一切使っていない海そのものの味わい。最後に柚子と清水の銀杏を合わせている。

やっぱり静岡の魚を料理したい

藤岡は生まれも育ちも静岡市。サッカーの強豪校のひとつ、常葉学園橘高校でボールを追いかけていた元サッカー青年だ。卒業後は大阪芸術大学でインテリアデザインを学んでいたが、大学2年で中退して料理の世界に入った。「料理人になったらいいのに」と家で父によく言われていたことが頭に残っていて、思い切って飛び込んだ。

京都と東京での修業後に静岡へ戻り、2014年11月に「日本料理 FUJI」を開業。もともと、センスのいい若手料理人として地元で一定の評価を得ていたが、当時、料理していたのは全国の魚だった。駿河湾を誇る静岡県だが、じつは県外の魚も多く扱う飲食店が大多数である。東京の和食と同じように、北海道のウニも淡路の鯛も喜ばれる。安定はしていたが、藤岡はいつしか違和感を覚え始めた。

「ここじゃなくてもいい店になっている。もっと地元に特化したい。サスエさんの料理人たちがやっているように、地元のもので県外の人も呼べるお店をやりたいと思うようになりました」

ローカルガストロノミーに切り替えるにはどうしたらいいか? サスエにいきなり直談判する勇気はなかった。でも、どうにかしたいと、ヒントを求めて県外を食べ歩いた。

和歌山の食を盛り上げる「ヴィラ アイーダ」も藤岡が理想とする存在であり、2019年4月に行われた同店の20周年イベントにはスタッフとして参加した。その打ち上げで会ったのが、地魚にこだわる宮崎の日本料理店「きたうら善漁。」の吉田善兵衛だ。話を聞いて感化された藤岡は、翌月には宮崎に飛んでいた。ますます、生産者との距離が近い料理に魅力を感じることになる。

宮崎訪問の翌月には吉田が静岡に来てくれたのだが、ふたりが「シンプルズ」で食事をしていると、奇遇にもカウンターに前田尚毅がいた。吉田と知り合いだった前田は突然の再会に驚き、静岡にいる理由を聞くと、「藤岡くんに会いに」との返答。前田はひとりで食べ歩いて勉強する若い料理人に興味をもった。意欲あふれる地元の料理人を求めていたからだ。

あてのない模索が前田尚毅に繋がった。どういう店にしたいか伝えると、「一度、見においでよ」と言ってもらえた。そして、前田もまた「日本料理FUJI」に向かった。

「自分は取引を始める時に必ず食べに行ってから決めます。それで彼のとこに行きました。魚屋なんで、まずは魚料理をみたいじゃないですか。そしたら挨拶代わりにいきなり椎茸出してきたんですよ。こいつないな、と思いました。めちゃくちゃ美味しくないんですよ(笑)」

椎茸嫌いの魚屋とは知らず、“夜な夜な会”の前哨戦がスタート。でもじつは、前田は藤岡の魚料理を口にして、新しい風を予感していた。

胡麻は99%以上が海外産だが、ここでは藤枝産。特注の土鍋で煎ると楽しい音がして香りが漂い、すり始めると胡麻の匂いがカウンターに充満する。この胡麻を味わうための料理を毎回提供。

すりたての胡麻をまぶした柿の白和。夏から秋にかけてはフルーツを使った白和となり、寒くなってくると野菜の胡麻和えとなる。いずれも地元の農家の食材で、自生のクレソンなどが使われることもある。

新人からジャンケンの猛者になった

藤岡は「サスエ前田魚店」にとって久しぶりの新人だった。2007年に開業した「てんぷら成生」志村剛生に始まり、「茶懐石 温石」杉山乃互、「シンプルズ」井上靖彦に続く料理人として、前田の期待は高かった。

とはいえ4人になると、必要な魚種が被ることが増える。それぞれが少しでもいい魚をとサスエに通うから、新加入はライバルの登場でもある。前田としては新人も含めてフェアに特上を渡したい。そこで解決策として生まれたのが、魚をかけての仕入れジャンケンだ。

「僕らがいるので平等にいい魚をあげることにやりにくさもあったと思います。でも、みんなが魚好きだから、ジャンケンで決めるルールができました。尚毅さんのユーモアと愛から生まれたのが仕入れジャンケン。これからもやる気がある料理人にチャンスを与える方法だと思います。負けると本当に悔しいけど、仕入れジャンケンにはロマンがあります」と井上。

すんなり馴染めたわけではないので、ジャンケンはなごみ材料でもあった。じつは同じ和食で同年代の杉山は、当初、藤岡のことを「イケメンで感じが悪いやつ」と距離を置いていたとか。しかし、前田から諭されて少しずつ話をするようになった。

「お互い三男で人見知り。好きな歌手も同じ。性格が悪いと思ったけど考えたら僕も同じくらい悪いので似たもの同士だと気づきました(笑)」と、冗談っぽく杉山は言う。もとい、ともに繊細で誠実なのだ。いまでは一緒に県外へ食べに出かけたり、コラボイベントを行ったりする間柄になった。

ローカルガストロノミーは団体戦でもある。不仲でも馴れ合いでもなく、切磋琢磨できる仲間でいる必要があった。

蓮根饅頭とメバルのお椀。薄葛をまとったメバルの繊細な舌触りが記憶に残る。蓮根は静岡市北部にあるファームカノウのあさはた蓮根。栄養たっぷりの地中深くに育ったゆえ風味が格別だ。

藤岡は環境が変わり上を目指すしかなくなったが、ガッツのある性分としては合っているようだ。

「尚毅さんによく、『地方大会であーだこーだ言ってるんじゃねえよバカやろう』って怒られました。全国大会、さらにオリンピックを目指さないとダメだと。いままでは県大会でベスト8いったらよく頑張った、ぐらいの感覚だったのが、サスエさんに入ったら全国をみないといけない。高校サッカーで言うなら静学(静岡学園)にいく人は全国優勝を目指すじゃないですか。相手は全国の強豪。生ぬるい意識ではいられない。目線がどんどん変わっていきました」

朝に魚を渡されて「これやってみろ、今夜行くから」とチャレンジを課せられる環境も強みと感じている。誰よりも魚を知る前田の声ほど心強いものはない。そんな夜な夜な会は料理人の成長の時間であるとともに、前田の学びでもある。

「この歳になると自分の仕事を叱ってくれる人はいなくなる。だから、自分を否定するために食べに行かないといけない。食べてイメージと違ったら、調理法がどうこうじゃなく、仕立て方が間違っていた可能性がある。そこを理解しないと次の日また同じことの繰り返し。昨日の仕事を否定することもあるし、毎日悩んでいますよ」(前田)

前田は夜な夜な会ごとに各店のシグネチャーを食べるが、FUJIでいえば白甘鯛の松笠焼きだ。初めての夜な夜な会で原型を口にし、「ここのシグネチャーは白甘鯛だな」とピンときて、2年半以上アップデートされ続けている。

板場と席の距離が非常に近く、香りがダイレクトに伝わってくる。

白甘鯛のすべてを味わえるひと皿を

前田は白甘鯛を“駿河湾のダイヤ”と呼ぶ。FUJIのカウンターに白甘鯛が登場すると、確かにジュエリーのようで見惚れてしまう。油通しで立った衣がキラキラ輝き、香ばしい匂いで食指を動かす。串に刺した身を炭火で焼き始めると、もうその煙で酒が呑める。7割火が通ったらお椀に盛り、白甘鯛の頭や骨でとった熱々の出汁を張ったら完成だ。最後、お椀のなかでほんの数秒蒸されることも含めての算段である。

ギリギリの熱さをひと口で食べたい一品だ。噛めば鱗がバリっと崩れるのを合図に身から鯛のジュースがあふれ出る。まるで小籠包のように閉じ込められていた水分が出るが、それも前田が仕立てた白甘鯛だからこそ出来ること(時期によっては白以外の甘鯛となる)。

「魚自体に強さがあるのでそこを強調するために高温で火を入れています。県外の鯛で同じ火入れをすると身が負けてしまう。でも、尚毅さんが仕立てた鯛だと、水分をきっちり閉じ込めたまま身と鱗に一体感を出せます。鱗に合わせて身を焼きすぎることも、反対に鱗が焼き切れていないこともない。このバランスで提供できる鯛は他にないです」

だから、どの松笠焼よりもジューシーだった。鯛出汁はほのかに乳化していて、食後は意外やラテンな気分にもなる。

続く金目鯛はコンフィのように低音の油にくぐらせてあり、しっとりふわっとした食感。金目鯛の油が少ない時には理にかなった火入れである。さらにそれが酢で仕上げられているのも面白い。魚の素材感を最大限に届けることを考えたら、和食のセオリーにとらわれずに自由になった。

「サスエさんの魚を使って何が一番変わったかというと、料理の構成というより、食材へのアプローチ。出汁重視のお椀でも、魚をほんの数秒も放置できない。お客さんがお椀の蓋を開けて口にする時の素材感を突き詰めるようになりました。すべてが弾ける寸前で、箸を入れたら閉じ込めていたものが崩れ落ちるイメージです」

そんな藤岡の言葉は、「本当に食材に向き合える人、いまのこのタイミングしかないって気持ちの人と仕事をしたい。その方が自分も楽しいから」と言っていた前田の言葉と重なる。

塩をあてるタイミングも皮目の焼き方も、甘鯛の個体ごとにマイナーチェンジを欠かさない。生かしで入った場合とそうでない場合の焼き加減も、ここ数年で鍛えられた。

「うちは出汁を大事にしている店。甘鯛からもとてもいい出汁がでるので何かできないかなとこの形になりました」と藤岡。ひと切れ目は丸ごとがぶりと、ふた切れ目は出汁に崩しながら食べることが推奨される。

都会にはないよさが僕らには絶対にある

藤岡にこれからの目標を聞くと、答えは「なぜここでやっているか、それはいつも課題」と、模索していた頃と同じだった。でも、駿河湾の魚を料理するいま、話の続きはずっと逞しくなっていた。

「いまはまだ、料理人を目指す若い人は東京や京都に行きたい時代かもしれない。でも、静岡のこの店で働きたいという人が増えたらいいです。ひとりひとりがきっかけになって地方に人が流れるようになればいいのかなって。都会にはないよさが僕らには絶対にあるはず。そこをもっとアピールして、目指したいと思ってもらえる場所にしていけたら」

実際に、助手のリコさんはFUJIに食べに来てここで働きたいと決めたそうだ。「てんぷら成生」、「茶懐石 温石」、「シンプルズ」にも同じように気概のある若手がいる。

また、春に静岡市内に開業した「中国料理 村松」が新加入し、6月18日には以前からサスエと取引していた広島のフレンチ「馳走2924」が静岡に移転オープン。もとから人気店だったが、店主の西健一(41歳)は一番近い場所で魚を料理したいと焼津に引っ越してきた。

前田尚毅が目指したのは、漁師、魚屋、料理人のバトンリレーであり、そのバトンは次世代にも新人にも渡されていく。グルメの域を超えたチームプレーで静岡に人を呼び、地方創生のモデルケースとなっていくだろう。

そう締めてこの魚連載を終了したと思った。

そして、遊びモードになって次の旅の参考に、昨年の「世界のベストレストラン50」のランキングを見た。16位に目がとまった。スペイン・バスク地方の「エルカノ」である。田舎の港町でカレイの網焼きを名物とする店だ。店裏の道端でカレイを焼く、バスク人に愛されてきた家族経営の素朴な店だった。それがいつしか、他のメニューもスタッフの制服もワインもぐっと洗練されて、デザートまで最高に美味しくなり、結果、世界16位である。

焼き魚がここまでスターダムに駆け上がることがある。静岡だって……。

静岡は旨い日本酒クラフトビールも多く、店をはしごしやすい環境でもある。海だけでなく山の食材も豊富に揃い、都心からも近い。未知数の可能性を秘めていると思わずにはいられなかった。魚をめぐるバトンリレーは、口にする人の気持ちを大きくする。目に見えない力走が、明るく美味しい未来を予感させていた。

目の前で削られる鰹節(左)とマグロ節(右)。鰹節は日本最古の製法といわれる手火山(てびやま)式のものを焼津の「やまじゅう」から買っている。薪で燻しながら乾かし、鰹節に手を触れ温度を確かめて作る製法は非常に手間がかかるため、生産者は全国で10軒に満たないという。削っただけで芳醇な香りがふんわり漂う。

昼のコースは8000円から、夜のコースは1万円から。昼夜ともにおまかせコースは上限1万5000円。初訪問であれば是非おまかせコースをお試しあれ。魚料理が怒涛のごとく続くが、最後の最後にくる天城軍鶏のラーメンも絶品だ。

文・大石智子 写真・松川真介