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マネスキンとアレッサンドロ・ミケーレが対談。ロックバンドとファッションデザイナーの共通点とは?

イタリア発の若きロックバンド、マネスキングッチ(GUCCI)のクリエイティブ・ディレクターから退任が決まったばかりのアレッサンドロ・ミケーレ。音楽とファッション、異なったフィールドで活躍する彼らに共通することとは? イタリア版『VOGUE』のエディター、キアラ・タグリアフェリが12月号で実現させた対談の全訳を公開。
マネスキン、アレッサンドロ・ミケーレ、グッチ、インタビュー

アレッサンドロ・ミケーレマネスキンのメンバーたちと会うとき、彼は4人に対して必ず最初にこう尋ねる──疲れてない? 彼らのあいだにある愛情が、このささやかな気遣い一つに見てとれる。お互いに世界中を駆け回る彼ら。アレッサンドロが手がける衣装を纏ったイーサン、トーマス、ヴィクトリア、ダミアーノはステージで輝き、すべてを照らし出す。

5人には共通点がある。それは、彼らにとって創作は“抵抗運動”であるという点だ。クリエイティビティの導火線に火が付いたその瞬間に立ち戻るなら、その舞台となるのはローマ。混沌のなかに奇跡が、そして救済へのかすかな望みが渦巻く街だ。

ローマという街への思い

左からイーサン、トーマス、ヴィクトリア、ダミアーノ。

アレッサンドロ 私たちの共通点を、単なる地理的なものにしたくないのです。それよりも熱意と、これまで辿ってきた足跡に目を向けたいと思っています。ローマは一種の無人地帯。夢と可能性が交差し、自由が生まれる場所です。ローマで何かが起こるとき、それは必然的に起こります。お金やビジネスとは関係なく。絶えず活発な動きがあるこの街は、いくつもの不思議な好機を生み出す雌狼(ローマの建国神話に登場する初代王ロームルスとレムス兄弟を育てたとされる雌狼のこと)のよう。キリスト教に改宗する前は異教徒の街だったのがローマで、私も自らを異教徒のように感じてしまう時があります。われわれローマ人の生活との関わり方はとても密接で、何かが起こる瞬間、そこに居合わせるのが私たちです。ここで生まれた創造性は非常に人間的な次元で増殖していくと感じています。

ダミアーノ ローマは人を落ち着かせてくれる場所でもあります。どこへ行くにも30分、長くても2時間ほどしかかかりません。ラッコルド・アヌラーレ(ローマの環状高速道路)では、乗っているのがフェラーリだろうがフィアットだろうが、どうでもよくなります。ローマでは、人間はまったくちっぽけな存在で、街に居住する一人の見物人にすぎないんです。ミラノから移ってきたガールフレンドのジョージアを見ていると、そう思わされます。そのことがまだ理解できていない彼女には、よくこう伝えているんです。「何でもコントロールしようとするのはやめなきゃ。ローマの川に身を投げて、流れに任せるんだ」と。僕が住んでるアパートの一階で働くバーテンダーにとっては、僕はただの最上階の住む、親切で礼儀正しい人。“マネスキンのダミアーノ”はそこには存在しません。この街の唯一のルールは「好かれるか、嫌われるか」。ローマはさまざまな物事を引き寄せ、その違いを解消してしまう場所。誰もが自分だけの価値判断を働かせて生きています。

ヴィクトリア 私のローマとの付き合い方はこの数年で変わってきました。ローマは今では私が最も愛する街で、私が好きなのは、そのありのままなところです。常にクレイジーな体験に巻き込まれる私たちを、現実に引き戻してくれる場所。ロサンゼルスやロンドンニューヨークは刺激的ですが、ホームに帰ることで自分を見失わずに世界に向き合うことができるんです。子どもの頃はあまりいい思いをしてきませんでした。私が育ったのは、モンテヴェルデというとても静かな町。初めて街頭で演奏を始めた10代のとき、皆が私たちのことをからかいました。風変わりな格好をしていましたからね。私たちがもっと脆い心の持ち主だったら、そこでやめていたでしょう。実際にはそれどころか、復讐心に火がついたことで一層、前のめりになっていきました。

トーマス 僕がローマで好きなのはトラステヴェレ地区。コロナ禍ではそこでAirbnbを借りていたのですが、まるでモデルタウンに住んでいるようでした。1万人の住人がお互い顔見知りなので、心のこもった人付き合いができると感じます。

ロックバンドとファッションデザイナーが見出す共通点

ローマについて熱心に語るマネスキンは、大規模なコンサートを終えたばかりのメキシコシティでこのインタビューに臨んだ。創造のインスピレーションをもたらすこの街で、彼らはアレッサンドロ・ミケーレと私によるインタビューに応えた。ヴィクトリア、ダミアーノ、イーサン、そしてトーマスが話していたのはあるボートトリップ。死者の日を祝う催しで、マリアッチが演奏するなか現地の料理が船上で振る舞われたという。明るい朝の陽射しを浴びながら寝起きの身体を重たそうに動かす彼らを見ていた私は、リリアーナ・セグレ(92歳になるイタリアの政治家でホロコーストの生還者)の言葉を思い出した。バンドのファンである彼女は「彼らを見ていると、歌を聴き取るのを忘れてしまう」と話し、ときどき歌詞だけを調べなくてはならないと語ったことがある。彼女の言ったことは正しい。マネスキンには、見ているだけで魅了されてしまう魔力がある。グッチ(GUCCI)のクリエイティブディレクターとして、マネスキンの衣装を手がけてきたアレッサンドロ・ミケーレはかつてこう言った。「言葉を使って会話をする前に、身体と会話をせよ」。マネスキンの身体が語るのは性の解放の物語だ。それを支えるものは彼らがミケーレとともに築いたグループとしての意志、そしてパワフルな衣装の数々でもある。

アレッサンドロ 私はとにかく“火をつけて回りたい”たちで、燃料を手に入れたとたん狂喜するんです。彼らのことを追っていて、「どうしても彼らと会わなければ」と思いました。自分でも気がつかないうちに対話は始まっていたような気がします。とうとう彼らと顔を合わせたとき、それはまるで好きな人との初めてのセックスのようでした。「僕らが愛し合ったら特別なものになるってわかっていた」とでも言うようなね。そのようなプロジェクトは、本物のケミストリーがあるときにのみ生まれるもので、膨大な量の作業が伴います。彼らの活動量は大変なもので、この過剰な創作プロジェクトに共鳴したのは、私自身も過剰に働くタイプだから。私たちがともに創り出しているのは、極度に長い“お祈り”のようなものです。そこで“唱えられる”のはドレスジャケット、ビスチェにボディス、そしてそれらの信じられないような組み合わせの数々。私の好きな服は、中に身体を宿した服です。そして、マネスキンにはお決まりの儀式がある。服はかがり火となり、燃え尽き、ステージ上で灰となるのです。

ダミアーノ 僕らはすでに同じ軌跡を辿っていました。それでも、最初のミーティングがすべてを容易にしてくれました。いつでも魔法を起こしてくれるのがアレッサンドロ。彼は僕らの音楽に深く浸って得たものを、僕らが身体を用いて行うパフォーマンスにぴったりなビジュアルへと変換してくれます。

トーマス 僕が最も惹きつけられるのは、多大なプロ意識に強烈な芸術性が入り交じる彼の仕事ぶりです。普通のことではないですからね。彼との仕事は楽しい。フィッティング中は笑い声が絶えません。

アレッサンドロ 私の仕事の流儀とマネスキンの活動の共通点は、かつて存在したがなくなってしまったものに再び火をつける点でしょう。マネスキンは古く陳腐だと見なされ忘れられたジャンルを“いま”に取り戻している。解釈不能な、現代に蘇った“過去の遺物”というわけですね。自身と過去との関わり方を、あなたたちはどう説明しますか?

ダミアーノ 過去のものをすくい取ったことが、僕らの個性を生んだのは確かだと思います。でも、何かの系譜に連なろうとしたわけじゃない。ただ好きなことをやって、自分たちをその通りに表現しただけです。ロックの純粋主義者だったら、サンレモ音楽祭やユーロビジョンなんかに出演しないですよ。でもそれは僕らにとっては問題じゃないし、ポピュラーであることが汚点だとは思いません。誰もレストランを開業して「客の入りなんて気にしない」なんて言わないでしょう。僕たちだって会場の外にできた行列を見たいですから。

ヴィクトリア 曲を作るときは、本能的にひらめいたことをやっています。一人ひとりが各々のフィーリングやインスピレーションを持ち込む感じです。私が聴いて育ったのはデヴィッド・ボウイやレッド・ツェッペリン、ブロンディ、それにセックス・ピストルズ。だから私たちがスタジオに集まると、異なる世界のミックスが出来上がります。それが衝突に繋がって創作プロセスが困難になることもあるけど、最終的に出来上がるものは決して既存の何かのコピーじゃない。新しい音楽性を見つけることができたと思います。私たちの、私たちだけの手法でね。

トーマス 確かに。僕らは自分たちの好きなものをミックスすることが多いけど、それは僕らが最初からバンドとしてスタートしたからこそ、この形になったんだと思います。ステージではいつだってロック的なアプローチをしてきた。僕らが発するエネルギーは自然と生まれてきます。アレッサンドロと違って僕は過去に対してノスタルジックな思いを持っています。子どもの頃、父に偉大なロックバンドをいくつも聴かされて育ったからです。それ以来、僕は彼らの持つアティチュードにずっと夢中でした。

イーサン 僕の意見では“時間”というのは存在しません。それは、ちょっとした幻覚に似たようなものです。現在も過去も未来も同じものなんだと思います。僕らには時が過ぎていくのを感じ取る知覚が備わっているだけで。だから過去は僕らがすでに経験した“現在”で、未来は僕らがこれから経験するであろう“現在”。ちょうど2枚の鏡のあいだに立ったときみたいに。1枚を自分の正面に、もう1枚を背後に置くと無限のトンネルができる。正面と背後の鏡には、自分の動きが一つの動きとして映し出される。過去と未来の違いは単純にこういうことでしょう──過去は自分の背中を、未来は自分の顔を見つめている。自分はその二つに挟まれながら、同時にその二つの融合体でもある。そこで自分が起こす動作は、自分がすでに行っているものであり、同時に自分がやがて行うものでもある。

時間との付き合い方

アレッサンドロ 鏡のメタファーを踏まえるなら、未来に背を向けて過去を振り返ったとき、そこに見えるのもまた未来の姿というわけですね。面白いアイデアだと思います。現在とは知覚を働かせることというか。時間というのは私たちが決めるのかもしれないけど、あなたたちはもうすでに自分たちの時間を見つけたようにみえます。マネスキン流の時間との付き合い方はありますか?

ヴィクトリア 私の場合は複雑な関係です。どんなときでも、ほしいと思うものはそのときにないんです。2年前までツアー中はローマや家族、友人が恋しかった。でも帰ってきたら、1週間後には疲れて混乱状態に。この2、3年のあいだ絶えずツアーに出られるのはすごいことだけど、同時に危険なことでもあります。時間がないというのはアーティストにとってリスクです。5日で曲を作っても、ばかみたいなものしかできないなんてことも十分あり得ます。音楽を作るにはとにかく時間をたっぷり割かないと。

ダミアーノ 過去に逃した時間を取り戻すことができるなら、友人や家族、ガールフレンドとの時間がほしいです。この数年のあいだ自分に与えることができないでいた、温かな交流をね。僕はいつも「何ものも犠牲にしてゴールを目指せ」と自分に言い聞かせてきたから。スポーツでもそうだったし、今は音楽でそれをやっています。少し大人になって両親や兄弟との関係もより対等になったから、その関係を楽しみたいと思っています。

イーサン 僕だったら山登りをして、修道院を探しますね。そして自分だけでは得ることのできないものを教えてもらいたい。

トーマス 僕にとって時間というのは本当に悩みの種。最も恋しいのは、ミュージシャンとして成長して、身につけたことすべてをグループに持ち込むことができたときのことです。目まぐるしい状況のなかで確固たる芸術性を維持することは難しい。だから僕は疲れ切っていたとしても、空き時間にとにかくギターを練習します。自分自身の夢に後れをとりたくないから。

イーサン その強迫観念は僕にもあります。「有名アーティストの矛盾」って僕は呼んでいます。無名時代のアーティストは何者でもないけど、創作の時間だけはたっぷりある。作品が売れると作家も有名になるけど、名声が作品を生み出す時間を奪います。避けられない罠のようです。

ダミアーノ それが今の音楽シーンを蝕む病だといえる気がします。僕らはアーティストが自分の作品をひっきりなしに宣伝するのに慣れっこになってしまいました。ハリー・スタイルズの仕事量には脱帽します。彼は過去4年のあいだ一日も休めてないと思うくらいだと思います。「すごい意志の力だ」と感心する自分がいる一方で、ファンに対してそこまでの消費マインドを植え付けるのがフェアかどうかは疑問に思います。アーティストも人間だってことを忘れさせるほどだから。過剰なメディア露出や肉体的な限界を超えた過労が、多くの優れたアーティストのキャリアを潰してきたと思います。圧倒的な責任を抱えながら、人々の関心から消えてしまうのではという恐怖に苛まれていたら、自分自身の人生を生きることができずに窒息してしまうだろう。おかしくなったり、薬剤の過剰摂取で死んでしまうミュージシャンの二の舞は避けたいです。優れたアーティストは大勢いるけど、彼らには今後も健康でいてほしいから。

「私たちにしか聞こえないもの、そして語りたい物語を人々に伝えることができる」

アレッサンドロ ファッション界で知られるようになったとき、私はもう大人になりきっていました。42歳になろうとしていた私が悟ったのは、自分を見失わないようにしなければということでした。大事なのは自分自身をよく労り、自らの仕事に愛情を注ぐことだと思っていました。また、「ノー」と言えるようになることも重要です。私たちはお互い、自分だけの世界を創造したい人間なのです。あなたたちは存在しない音を思い描き、それを形にする。私には、ほかの誰にも見えないものが見える。私たちにしか聞こえないもの、そして語りたい物語を人々に伝えることができるというのは素晴らしく幸運なことです。

私は、自分の仕事が自分とってしっくり来るものでなければ気が済みません。マネスキンが作る音楽にあなたたちという人間がほんのわずかにでも表現されていたなら、誠意は示されたということだと思います。私は空き時間にはあえて何もしないようにしていて、今もそれを習得しようと努めています。常に何かを生み出さなければという衝動がすっかり染みついているからね。哲学的にではなく、実践的に試みているんです。余暇には、「何もせずにこらえてみせよう」とします。これまでの人生、私は何もしないことについてカルヴァン派が説くような罪の意識を持ってきました。でも無益な時間というのはクリエイティブなんです。感覚を磨く訓練になるから。

癒しをもたらすもの

イーサン 匂いは面白いです。あまり意識されないことだけど、匂いは別の時間への扉のようだと思います。この前も、ずっと忘れていた匂いを嗅いだとき、長いこと思い出してこなかった場所に僕を連れて行ってくれた感じがしました。お金に恵まれなかった頃、一年くらいトレーラーハウスに住んでいたことがあったのですが、そこのキッチンは独特の匂いがして、同じ匂いを嗅いだときは「すっかり忘れていた!」と懐かしい気持ちになりました。

ダミアーノ 僕の場合は匂いじゃなくて猫の毛です。僕の服はいつも猫の毛まみれだから、スーツケースを開けるたびに飼い猫を思い出します。僕にとっての入り口はそれかも。いつも家に連れ戻してくれる。そういえば、猫は何もしないことのプロですね。

アレッサンドロ 確かに動物は怠けの達人ですね。彼らが体現しているのは宇宙の秩序との調和で、それはとても美しい。彼らにとっての“いま”は果てしない広がりを持っているが、私たちは今日の選択が明日災いにならないか不安でしょうがない。

トーマス 僕はペットを飼うのはやめました。11歳のとき、ずっと欲しかったピラニアを手に入れました。僕はそのピラニアのことが大好きで、それから10年ものあいだ一緒でした。でもある日死んでしまったんです。別の何かを代わりに飼おうなんて思いませんでした。今でもときどき墓参りに行きます。アパートの中庭に埋めたから、いつも近くにいてくれる。

アレッサンドロ ペギー・グッゲンハイムみたい。彼女も飼っていた犬を皆、自分のそばに埋めてほしいと願っていました。私とパートナーは、ヴェネツィアを訪れるたびにその場所にお参りに行くのが決まりになっています。墓石の前に立ち止まって刻まれた名前を読み上げていたら、もうそらで言えるようになってしまった。カプチーノ、ホンコン、ジプシー、ベイビ──。ああいった動物たちと私たちの関係はミステリアスで、スピリチュアルですらある。人は彼らに自分自身が抱えるニーズを満たしてほしいのだと思います。私たちが彼らに夢中になるのは、彼らが私たちに愛情ある親密な対話とは何かを再認識させてくれるからでしょう。

性別を超えた“家族”のような関係性

アレッサンドロ ところで、私から別の質問があります。すでに何度も聞かれているかもしれませんが、あなたたちとヴィクトリアの関係を知りたいです。端から見てると、マネスキンには深い親密さが感じられます。

ダミアーノ 大勢の兄弟や姉妹がいる大家族みたいなものです。しばらく経つと、自分の姉妹が女だってことなんて忘れてしまいます。

トーマス 僕らは一緒にいる時間が長すぎて、異性同士が普通感じるような壁なんてなくなってしまいました。

ダミアーノ その通り。かっこつけようとしたときの決まりの悪さとか、それを見透かされるのを恐れたりなんて駆け引きは僕らにはないんです。僕らの誰もヴィックを口説いたりしないし、ヴィックも僕らに言い寄らないって皆わかっています。僕らは友達だから。彼女が裸になりたいなら、裸になればいいと思っています。僕らは各々やりたいことをやります。7年も一緒だから、一心同体なんです。

ヴィクトリア このファミリーの中にいて違和感を感じたことなんてないです。私は自由だし、人はジェンダーで判断されるべきじゃありません。でも私は幸運だと思っています。女だからという理由で人と違う扱いを受けたことはないから。それが必ずしも普通じゃないことも知っています。ジェンダーギャップによって受け入れがたいほどの不平等が生まれる環境というのはたくさんあって、そういう場所で女性は性的に消費、鑑定されたりモノのように扱われているとしょっちゅう感じています。

イーサン 僕から付け足すとすれば、生物学的に決定される性によって自分が女性か男性か決まるわけではないということです。僕が興味を引かれるのはその人の魂。魂には男も女もない、純粋なエネルギーだと言えます。あなたたちの話を聞いていて思いだすのがルパート・ブルックの詩です。「望まんとすれば得られよう/我が至上の願望を」。いろいろな可能性の場に飛び込むことに躊躇がない。あなたたちを駆り立てるのは飽くなき欲望だけど、僕はと言えばしまいにはすべて失うだろうなんて思っています。世界が輝きで満ちている間にも僕は眠りを選ぶ。今にもトーマスがマドンナの家で過ごした夜のことを話してくれそうだ。

トーマス ヴィックは毎晩出歩いています。僕もそうしたいけど、彼女のペースに合わせるのは大変。数日前ニューヨークに住んでいるイタリア人の男性と会ったとき、彼があるパーティーに招待してくれた。僕は行ったんだけど、珍しいことにヴィックはホテルに帰ってしまった。彼女がそんなことするなんて、この2年で初めてのことだったような気がします。最終的に何が起きたかというと、僕はマドンナの隣に座ってたんです。ヴィックに電話しました。「マドンナの家にいるんだよ!」って。彼女はむっとしていました。

ヴィクトリア 最悪でした! どれだけ疲れ切っていても、何だって逃すのが嫌で出かけるのが私なのに。でもやっぱり私の感覚は正しかったですね。たったの一回、睡眠を選んだために逃したのがよりにもよってマドンナのハウスパーティーだったんだから、もっと遊びに出なきゃいけないっていう証拠だと思いますよ。

メンバーそれぞれの役割

アレッサンドロ メンバーのなかでいつも誰か一人がこなす日常業務というのはある? マネスキンのなかの一人だけが得意なことは? 例えば、僕は家では薬の係。何がどこにあるか知ってるのは僕だから、パートナーは必要なときに僕に聞いてきます。彼も自分で見つけて服用することはできるけど、彼のための気遣いとして僕がやってあげたいと思っています。

ダミアーノ 僕はトーマスを頼りにしています。彼は好奇心旺盛で、彼一人じゃ近寄らないようなところにも僕らを引きずり込むんです。例えば、彼自身はバスケットボールのファンでもないのに、彼に連れられてNBAの試合に行ったことがあります。ヴィックはスケジュール管理に関してはいちばんしっかりしています。人との約束を僕らに思い出させてくれるのは彼女なんだけど、彼女自身はいつも15分遅れてきます。イーサンはスポークスパーソンに適任です。彼にはプラトン的な素質があって、何時間でも一緒に話せる。

トーマス&ヴィクトリア ダミアーノは現実主義者。空想的な飛躍がなくて、いつも単刀直入で堅実です。

アレッサンドロ このおしゃべりはいくらでも続けられそうです。私はあなたたちのことが大好きです。マネスキンは生きるということを熟知した、かけがえのない才能の持ち主だと思っています。自分たちでは無自覚なのかもしれないけれど、私からすると電気ショックを受けたようなインスピレーションを感じます。あなたたちが備えている美しい力を大切にしてほしいと思っています。

Photo: Hugo Comte Stylist: Vittoria Cerciello Hair: Eugene Souleiman Make-up: Vassilis Theotokis Manicure: Silvia Magliocco Stylist Assistant: Nicolas Marcantonio Set Designer: Victoria Salomoni Production: 360PM, MAI, INLocation Translation: Julia Buckley, Yuzuru Todayama Adaptation: Motoko Fujita
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